紛争のある危険な地域に行った記者についての紛争(理解と誤解)

 中東のシリアで、武装勢力に身がらを拘束されていた記者が、およそ三年ぶりに解放されたという。解放されたのはとても喜ばしいことだ。

 国内では記者にたいして自己責任論による批判の声が投げかけられている。自分で勝手に危ない地域に行って人質になった。身代金が三億円ほど支払われたのは税金の無駄な使い方だという。これは日本政府が身代金を支払ったとすればの話ではあるが。

 記者は危ない地域に自分で勝手に行って、案の定危ないことに巻きこまれた。身代金が支払われたのは税金の無駄な使い方だ。そうして記者のことを自己責任論で見るのは、記者のやったことがまったく何の益もないという前提条件によっているものだろう。記者のやったことが何らかの益があることなのであれば、自己責任論による見かたの説得性は低くなって行く。

 記者は危険な地域に行ったことはたしかだが、それは取材のためだというのがある。危険性と利益は一般的には相関するので、危険性が高ければ利益もまた高い。危険性の高いところに自分で勝手に行ったから駄目だという自己責任論は、利益がどういったものなのかをとり落としてしまう。

 利益がどうなのかの点をとり落とさないようにしたい。記者にたいして、おかしな思わくを持っているといったような動機論の忖度をはたらかせないようにしたほうが、自己責任論を避けられる。

 事後において、記者のことを叩くのがふさわしいことだとは必ずしも言えそうにない。悪い行動であるのなら、事前にそれが禁じられていないと、決まりを守る義務に反したとは言えないものだろう。事前に明文の決まりがあり、それを守らなかったのであれば、その点において事後に批判できるのはあるだろうけど。