高級な町と生きづらさ

 東京都の青山では、昼食の平均の単価は一六〇〇円だという。ねぎを一本買うのにも高級スーパーである紀ノ国屋へ行く。高級な町なのだから、児童相談所を建てるのにふさわしくない。施設を建てるのに反対する人は、地域行政との説明会でそうした声をあげていた。それがテレビ番組で報じられていた。

 昼食の平均の単価が一六〇〇円だとか、ねぎを一本買うのに紀ノ国屋に行くことが、青山の町の豊かさなのだとすると、それは本当に豊かなことだと言えるのだろうか。

 施設を建てるのに反対している人の中には、不動産業の人がいて、施設が建ってしまうとそのまわりの地価が下がるので反対しているということだ。そうであるのなら、理由を隠すのではなく、はっきりと地価が下がるので施設が建つのは嫌なのだと言ったほうが分かりやすい。

 施設が建つことで騒音などがおきることは置いておけるとして、青山の町が高級なのだとしても、そこに施設を建てることが、悪いことだとは言えそうにない。人々の豊かさにつなげられるのがある。町の中で困っている人に役に立つ施設を建てるのは、その必要性があるので、許容できるのがある。困っている人を承認するのに役に立つ。

 高級な町だとは言っても、それは高級だというのに都合のよくないものにフタをしていることで成り立っていて、したて上げているものだろう。高級ではなく中級くらいであっても、利他によってみんなをできるだけ包摂できたほうがよいのではないか。