コンプライアンスに引っかかっているのが、学園と政権(首相)だと見なせる

 コンプライアンスとガバーナンスを守って行きたいと思っている。首相と関わる疑惑が投げかけられている学園の理事長は、記者会見の中でそう言っていた。

 コンプライアンスとガバーナンスを守って行きたいと思っているとのことだが、これはばく然とした発言である。ほんとうに理事長がそう思っていると見なさなければならない確実な根拠(担保)がないので、うのみにすることはできない。

 コンプライアンスとガバーナンスを守るのも大事だろうが、それをする前にもっとやらなければならないことがある。とり沙汰されている首相と関わる疑惑について、説明をするようにしないとならない。疑惑がいつまでも片づかないのは、学園が疑惑について説明するのを避けていることによる。

 学園の理事長は、記者会見の中で、コンプライアンスとガバーナンスを守って行きたいと言っているが、このさいのコンプライアンスとは世間に一般で通用している法などの決まりや常識を守って行くということだろう。これを守るのであれば、学園に投げかけられている疑惑について、自分たちから能動で説明をしないとならない。

 説明が十分ではなく、不足してしまっていることから、疑惑が片づかないままになってしまっている。これは学園においてコンプライアンスが軽んじられていることをあらわす。コンプライアンスが軽んじられていて、それよりも学園の組織を保身させることをとっている。

 学園は、説明をするよりも、自分たちの組織の保身をとってしまっているが、これは学園だけによらず、いまの政権のあり方とそっくりでありうり二つである。無責任体制というまちがったいまの政権のあり方をまちがって模倣していると見なさざるをえない。

 理想としては、疑惑がおきたときには、最初期に最大の努力を注ぐことができるのがのぞましい。初動において最大の力を注ぐ。火でいうと、ぼやのうちに何とかする。ぼやから本当の火事になってしまったら、そうそう火は消せるものではない。たとえ時間を引きのばしたとしても、それによって火が小さくなるとはかぎらない。

 火を持ち出したのは置いておくとして、すでに疑惑が形のある負のものとして振り出されてしまっているのがある。いくら時間を引きのばしたとしても、質問に受け答えたり説明をしたりして片づけようとしないのであれば、形のある負のものが振り出されたままになっているのは変わらない。