党の中の頑固な非同一なるものとしての少数派

 いったいどこが善戦だったのか。答えてもらいたいものだ。自由民主党財務相は、党の総裁選の結果についてそう言っていた。首相が勝ったが、負けた石破茂氏は予想を超えて善戦したと言われている。しかし財務相はそれを認めていない。

 議員の票だけを見れば、首相は石破氏を圧倒しているが、党員の票を見ると、必ずしもそうではない。財務相は、議員の票を見て、善戦ではないとしているのだろう。議員の票とはちがい、党員の票は首相と石破氏がほぼ半々くらいである。党員の票の結果もくみ入れないとならないのがある。

 三選をはたした首相とそれを支持する議員たちは、党の中の多数派である。いっぽう石破氏とそれを支持する議員たちは少数派だろう。党の中で少数派である石破氏とその支持者は、党の中の非同一なるものに当てはまる。

 党の中で多数派である首相とその支持者は、自分たちだけでものごとを進めるのではないようにするのがのぞましい。自分たちだけでものごとを進めようとするのは、多数派による同一性をとるものだ。同一性をとるのではなく、(同一の中の)頑固な非同一なるものに向き合うようにできればよい。

 非同一なるものである少数派の声をきちんと受けとめて、聞き入れるようにする。党の中だけではなく、党の外にいる野党の声を受けとめるのも含む。簡単にできることではないし、多数派である首相はやりたがらないだろう。気は進まなくとも、それをしないことには、効率はよいとしても進む方向をまちがえることになりやすい。進む方向をまちがえるのであれば、効率のよさは意味がなくなる。

 たやすく多数派に同一化してしまうのではなく、それをこばんで冷や飯を食うのをいとわず、辺境に身をおく。そういった非同一な少数派の声を聞き入れるのは、無駄になることだとは言えそうにない。

 たいていの政治のことがらは、一つのあり方がよしとされるのではなく、二つ以上に分かれるものだから、一つのあり方でまとまるほうがめずらしい。総論賛成、各論反対みたいになることはよくある。総論では賛成が多くなるが、各論(個別の話)では自分に少しでも不利であれば反対になりやすく、反対が多くなる。反対者が出るのは避けづらい。一つのあり方でまとまるのは、それ以外のものを切り捨てることによって成り立つことが少なくなく、その切り捨ててしまったほうが正しいことがある。