外交で会談の回数を重ねるのは蓄積であり、その数を積み重ねれば積み重ねるほどよくなるとは必ずしも言うことはできそうにない(蓄積とはちがう、消尽がある)

 二二回も会談を重ねる。日本とロシアは、いまの(日本の)首相のもとで、会談を積み重ねている。首相が会いに行くと言えば、ロシアはそれなら会おうとして迎え入れてくれる。

 二二回もの会談の数を積み重ねているのは、量によるものだ。それとは別に、質によるものもある。回数が多いというのは量によるものだが、それが質をあらわすのだと言うことはできない。量を重んじたとしても、質がないがしろになっているおそれがある。

 会談の回数は量であり、その数を重ねれば重ねるほど、期待は高まる。期待は高まるとしても、裏切りのおそれがある。期待が裏切られるということはありえないことではない。

 いままではロシアとはなかなか会うことができなかったが、首相が就任してからというもの、ロシアと会うことができるようになった。こちらが会おうと言えば、向こうはそれに応じてくれる。このさいの会うというのは、手段なのであって、それそのものが目的なわけではないだろう。手段であるはずの会うことが目的となっているふしが見うけられる。

 歴史において、負けることになる者の特徴がある。予備校講師の林修氏はそう言う。思いこみであり、慢心であり、情報の不足である。この三つに気をつけることが何よりも大事なのであり、この三つのうちのどれか一つでも十分に気をつけられていないのであれば、いくら会う回数を重ねたとしても、負けることになるおそれがいなめない。

 会う回数を重ねれば重ねるほどよくなって行くのだとは見なしづらい。会ってよくなるのと、会って悪くなるのとの二つに場合分けができる。会わなくてよくなるということはないにせよ、会わないで悪くならないのと、会わなくて悪くなることの二つの場合分けがとれる。会うことそのものによい価値があるとは言えそうにない。悪い価値もまたある。

 ロシアに日本が外交で勝つことができるとするのは、相手が相手だけに、そう簡単にできることとは言いがたく、そうとうに見こみは低い。ロシアが勝ち、日本が負けるということはあるだろう。ロシアと日本が共に勝つということもないではない。共に勝つことは簡単かと言えば、そうとは言えそうになく、相手にだし抜かれることはある。こちらが少しでもすきを見せさえすればやられることはある。

 ロシアと日本が共に勝つことができるのは、ロシアと日本のいまの首相は、お互いに信頼関係があるからだ。信頼関係を築けている。この前提条件は、反対にひっくり返すことができるものだろう。反対にひっくり返すことができるのは、ものごとに負けるさいに、思いこみが働くことがあるからである。信頼関係が築けているという(首相の中の)思いこみが働いているおそれがある。この思いこみや、そのほかに慢心や情報の不足があるのなら、ロシアとの外交において、日本に危ないところが無いとは言うことはできない。