党の総裁選で首相と対抗する候補者の効用は高い(対抗する候補者がゼロであるのと比べて)

 首相は膿(うみ)を出し切るとずっと言っている。いまの段階で、膿は出し切ったと考えているか。それともまだなのか。自由民主党の総裁選の討論会で、記者はそうたずねていた。

 まだ、とかそういうことではない。膿を出し切ることについてたずねられて、首相はそう答えている。まだとかそういうことではなくて、膿は出し切らなければならない、と考えているとのことだ。そして大切なことは、二度と決裁文書の改ざんなどが行なわれてはならない。

 首相が言っているのは、記者から問いたずねられたことの答えになっていない。建て前を言うことでごまかしている。試験であれば厳しくいえば〇点だろう。首相の言っていることが、膿を出してはいなくて、出す気もないことをあらわしてしまっている。

 記者が言っていることは、首相は自分で言ったことをやっていない、ということが一つにはある。自分が言い出したことなのにもかかわらずそれをやっていない。言ったことをやっていないことについて、なぜそうであるのかを説明する責任が首相にはある。しかしまったく説明をしていない。なので、記者から問われたことに答えていない。

 党の総裁選で、首相のほかに候補者が出て、論じ合いを行なう。それが大事なことなのだと、討論会で(候補者である)石破茂氏は言う。それにたいして首相は、そうではないのだということを言っている。すでに現職の首相がいるのだから、総裁選では他の候補者が出る必要はない。論じ合いもいらない。現職の首相の活動をさまたげることがないのがよい。

 現職の首相がいるのであれば、党の総裁選に首相に対抗する候補者が出ることはいらないのだろうか。出てはいけないことなのだろうか。もしそうであるとすれば、それがルールになっていないのはなぜなのだろう。ルールになっていたほうが、はっきりとするし、そのルールが適したものかどうかを見ることができやすい。

 党の総裁選に、首相に対抗する候補者が出ることは、国民にとっては益になるものだろう。国民にとってどうなのかの視点がもっとも大事なことの一つだから、首相が言うことよりも、石破氏の言うことのほうが個人的にはうなずけるものである。

 たしかに、首相が言うように、現職の首相の活動に一時的にさまたげがおきてしまうのはある。しかしそれを補ってあまりあるくらいの益が見こめる。総裁選のやりとりの中で、首相の非が少なからず浮かび上がる。それは首相にとっての益ではないだろうけど、首相にとっての益が国民にとっての益ではないから、国民にとっての益を重んじられればよい。

 もうすでに国内の政治に支障がおきてしまっている。党の総裁選で首相に対抗する候補者が出ようが出なかろうが、すでに国内の政治はまずくなっている。その見かたが一つにはとれる。首相をはじめとする政権のにない手たちは、国会において、ご飯論法や信号無視話法を多く用いている。かみ合ったやりとりができていない。まともに政治が成り立っているとは見なしづらい。議論ができていないことによって、おかしくなってしまっている。

 党の総裁選で、首相やその賛同者たちは、支持をとりつけるために、裏で根回しをしていた。この根回しをせずに、まったく開かれた形でやるのなら、石破氏のほかにも候補者が出馬していたのが見こめる。首相が党の総裁に選ばれていなかったおそれは低くない。それがあるために、さかんに裏で根回しをして動いていたのだろう。それをしないでまともに(正直と公正に)やったら勝てる見こみが立たない。

 いまの与党にはり合えるほどの野党がいるのかといえば、それは見あたらない。与党のひとり勝ちになってしまっている。その現状があるので、せめて与党の中で一元になるのは避けたほうがよい。多元になるように努める。そうすることで国民にとっての益になる。与党の中で、首相をよしとしない反対勢力(オポジション)がいることを許したほうが、国民の声をすくい上げやすい。

 政権の中に、膿がたまっていて、緊張がおきている。たまりにたまった膿や緊張があるのだから、それをそのままにしておくことはできづらい。たまった膿を出させて、緊張をとり除くことがいる。そのためには、いまの政権にたいする反対勢力となるものがないとならない。党内では、その役をになえる数少ない人物が石破氏だろう。

 いまの政権は、膿や緊張をためているが、それを自分たちで外に出すことはのぞみづらい。それがのぞみづらいのは、政権は組織として腐り切っているからである。腐敗している。いまの政権がそのまま権力の地位に居つづけるのではなく、ほかの者にゆずる。その者が、いまの政権がためにためた膿や緊張を出す役を引きうける。それをするだけでも、その者の値うちは高い。いまの政権ではなく、次の者たちが、いまの政権がためた膿や緊張を出すことをするのに適している。絶対に正しい見かただとは言えないものだが、一つにはそう言うことができる。