消費税を上げる、または上げない、の前に、討論(ディベート)を試しにしてみるのはどうだろうか

 消費税は予定どおり引き上げたい。党の総裁選において、首相はそのように言ったという。消費税を来年の秋に一〇%に引き上げるのは予定した通りに行なう。引き上げることによる負の効果については、きめ細やかに対応して行きたいとのことだ。

 世間の大かたの声としては、消費税は引き上げるべきではないというのが多数だろう。しかし、多数の声が正しいとは必ずしも言うことはできそうにない。とはいえ、少数の声が必ずしも正しいと言うことはできないのもある。

 消費税を上げる、もしくは上げない、ということのまえに、それをするかしないかの討論(ディベート)をするのはどうだろうか。世間の大かたの声としては、消費税は上げるべきではないというのがあるが、討論においては、その逆の説をとってみる。消費税を上げるべきだという人は、逆に上げないほうがよいとの説に立つ。あえてそうしてみるのである。

 試しにそうしてみるのはどうかということであり、無理強いしてまでも行なうことがいるものではないだろう。無理に行なわなくてもよいものではあるが、消費税を上げるべきだということにも合理性があり、かたや上げるべきではないということにもまた合理性がある。どちらにも合理性がある。どちらにもその限界があることもまたまちがいない。

 消費税を上げることも、上げないことも、どちらも正しいところがある。そのどちらもが、それぞれを絶対に正しいものだとすることで、教条におちいる。教条におちいるのを避けるようにして、折り合うようにすることができればのぞましい。

 消費税を上げる、もしくは上げない、の一方だけが正しいのであり、他方はまちがっている。そうであるとすると、必然性の水準によることになる。きつい見なし方だ。しかし、可能性の水準で見ることもできる。可能性の水準で見られれば、どちらもがそれなりに正しいあり方が成り立つ。どちらでもかまわないことになる。ゆるい見なし方である。

 消費税を上げる、もしくは上げない、のどちらにおいても、したて上げてしまっていることがある。したて上げてしまうのに待ったをかけることができるとすれば、消費税を上げるのは、上げないことと関わっているし、その逆もまた言えるのがある。関係によって成り立っている。関係によっているのを重んじるとすると、関係が先立っている。消費税を上げるにせよ、上げないにせよ、相対的なものにとどまる。

 白か黒かといったはっきりとしたちがいによるのは、二元論である。これは白となるものと黒となるものを実体とするものである。それとは別に、関係によるものとすることができる。二元論をとらないようにできるとすると、白か黒かではなく、灰色をとることができる。連続したとらえ方だ。白となるものを、黒に向けてずらすことができるし、黒となるものを、白に向けてずらすことができる。こうすると、悪しき相対化になってしまうところはあるが、そのかわりに灰色のところを見ることができるのがある。