N◯K の、首相を何かと前面に出す報じ方は、おかしいものだ(党の総裁選があるから、他の候補者とのかね合いで、平等や公正や中立に反していはしないだろうか)

 首相はロシアへと外交のために出かけるという。国内では台風や地震の被害に見まわれているさなかである。党の総裁選が行なわれるさなかでもある。

 N◯K のテレビ番組では、国内の台風や地震の被害についてや、ほかのことについて、首相がこう言ったとかどうしたとかというのが報じられている。やたらと首相が前面に出たかたちで報じられているのである。こんな報じ方をしているのは、N◯K が首相を忖度している(させられている)ためだろう。近く総裁選が行なわれるのがあり、目だたせるように圧力がかかっているのにちがいない。あくまでも個人の主観による見かたではあるが。

 北方領土が、ロシアから日本に返ってくると、一時期はさかんに言われていたけど、返ってくる見こみは今ではそうとうに低いという。厳しい見こみであり、のぞみはほとんど持てないが、その中でも首相はロシアへと外交に行く。これは、首相の責任感が強いことのあらわれにほかならない。N◯K では、そう報じられているという。

 首相がロシアに外交に行くことについて、北方領土にかける首相の責任感の強さのあらわれだと、N◯K では報じている。この N◯K による見解はふさわしいものなのだろうか。個人としてはうなずくことができそうにない。

 首相の責任感が強いとするのは、N◯K の解釈によるものにすぎない。N◯K が、首相のことを動機論で忖度していることからくる解釈だ。なにかと首相のことを N◯K は忖度しているが、それがあらわれ出たものだろう。

 首相に責任感があるのだとしても、それは形式によるものだととらえられる。それとは別に、実質としてどうなのかがある。実質としてロシアから北方領土が日本に返ってこないのであれば、形式として責任感があるのだとしても、それにいったい何の意味があるのだろうか。

 実質としてたとえ北方領土が日本に返ってこない(その見こみが低い)としても、形式として責任感がありさえすれば、国の長としてえらいことになるのだとすれば、その見かたにはうなずくことはできづらい。形だけあっても、中身(成果)がないのなら、国の長としてえらいということはちょっと言えそうにない。