党の総裁選に出る首相と候補者の二人における、動機づけのあり方のちがい

 首相は、党の総裁選の候補者と、論じ合いをしたがらない。自由民主党の総裁選では、首相のほかに、候補者として石破茂氏が出馬しているが、石破氏との論じ合いを首相は避けていると見られる。

 首相が石破氏との論じ合いを避けているのがあるとして、これが意味するのは、一つには動機づけのちがいである。首相は外の動機づけによっていて、石破氏は内の動機づけによっているのである。

 外の動機づけとは、人からほめられるのや、自分を支持してくれる人の数の増加につながるのや、支持する人との結びつきを強めるのや、自分の自尊心を満たすのや、勝負に勝てそうなのや、利益(利得)になるといったことをもとにする。逆にいえば、それらを得るのにつながるのでなければやりたがらない。

 外の動機づけから見て、さしてプラスになることではなく、むしろマイナスになることであっても、やることに意味があるからやるというのが、内の動機づけである。ものごとの内容(実質)に焦点を当てる。内の動機づけによるのは、逆にいえば、外の動機づけによっていないのをあらわす。外の動機づけにそれほど左右されずにいる。

 一か〇かということではないから、ていどのちがいにすぎないものではあるが、どちらかというと、首相は外の動機づけによっているところが大きい。いっぽうで石破氏は内の動機づけによっているところが大きい。

 総裁選にかぎらず、ほかのことについても、首相は外の動機づけによって動いているのが目だつ。そこにまずいところがある。外と内との二つを兼ね合わせていればよいが、外の動機づけにかたよることで、支えが弱くなる。その支えの弱さが、首相の行動には見うけられる。総裁選で、石破氏との論じ合いを避けているのはそのあかしの一つだ。動機づけが外からのものにかたよっていて、支えが弱いために、やるべきことをやらず、やるべきではないことをやることにつながっている。