疑惑などの解明にはならないで、首相の宣伝役となり、片棒を担いでしまうのは、内容に意義があるものだとは見なしづらい

 テレビ番組に首相が出演していた。それを少しだけ見た。番組の中では、司会者と首相が対談をする内容が報じられていた。

 自由民主党では総裁選が行なわれる。首相は三選を目ざしていて、それのうったえもかねて、テレビ番組の収録を行なったのだろう。(ほかの候補者をさしおいて)首相だけがテレビ番組に出るのは、平等や公正から見てどうなのかというのはある。

 首相が出演したテレビ番組は、中立のものではなく、右に偏ったものである。それが絶対にいけないことだというのではない。できれば偏りを少なくしてつり合いをとってほしいのはあるが。偏見や差別をうながすようなものはよくない偏りなので、しないほうがよい。

 番組を報道する送り手の使命の一つとしてあってほしいのは、ものごとを少しでも解明することである。政権による疑惑や問題などが多少なりとも明らかになることには値うちがある。問題を見つけて行く。そのために益になるような番組の内容だったのかといえば、それとは逆のものだったと見うけられる。

 解明にはつながらず、益にはならないものであるのは、番組の中で首相のことを栄光化して持ち上げてしまっているせいなのがある。首相のことを栄光化してしまっているために、正の部分ばかりがとり上げられて、負の部分が見えてこない。

 負の部分として、社会の中や政権の中にはさまざまな問題(プロブレマティーク)がある。表ざたになっているものもあれば、そうではないものもある。問題を見つけて行くのは、問題解決の過程におけるはじめの出発点である。正の部分ばかりを見ていては、負の部分が見えなくなってしまう。見えなくなってしまうのは、負の部分が無いことではない。負の部分である穴が遮へいされて、おおい(cover)でおおわれているのである。おおいをとり払うのが発見(discover)である。

 首相は政治における権威をもっているが、その権威にたよるような報道の内容にしてしまうのはまずい。権威にたよるのは、ものによっては益になることはあるが、それは在野の専門家や研究者がもつものにあてはまることだ。しかし権力をもった政治家の権威にたよるのは、民主主義にとってはのぞましいものではない。

 首相は権力者として権威をもっているからこそ、首相の言っていることをそのままうのみにしないようにしたい。批判として受けとるようにする。番組の司会者は、無批判で受けとってしまっていた。無批判だと権力者と一体化してしまうので危ない。権力チェックをすることを放棄するのではなく、対象化をする。それをしっかりとやってもらいたいものだ。