ブラック企業やパワー・ハラスメントの必要性はゼロもしくはきわめて低いだろうから、受け入れられないものである

 ブラック企業やパワー・ハラスメントは、世界では通用しないものだ。日本にしかない。それらの害をうったえるのは、日本の社会の中で、自分が能なしの負け犬であるのをあらわす。ツイッターのツイートでそうつぶやいているのがあった。

 ハラスメントというのは外国から輸入したものだから、パワー・ハラスメントは世界では通用しないということはないだろう。世界から日本に持ちこまれてきたものである。

 ブラック企業やパワー・ハラスメント(やその他のハラスメント)は、人権を侵害している。人権というのは外国から持ちこまれたものであり、日本の外からとり入れたものだろう。人権の侵害であることは、世界に通用するものだととらえられる。

 自分が能なしの負け犬であるから、ブラック企業やパワー・ハラスメントの害をうったえるのだとは見なしづらい。能なしや負け犬というのは、ある一つのものさしを当てはめてみたものにすぎないのであり、別のものさしを当てて見ることもできる。能なしや負け犬というレッテルを貼ることが、不当な嫌がらせ(ハラスメント)だということができるだろう。

 能なしや負け犬としてしまうと、そうではないものをよしとする生存者バイアスにおちいる。それを避けるようにするのがのぞましい。能なしや負け犬とレッテルを貼られる者が悪いのではなく、外の環境が悪いという見かたが成り立つ。人間は環境が変われば能力もまた変わるだろう。

 日本の社会では、法よりも集団の中のおきてのほうが重んじられやすい。集団のあり方が閉じてしまう。開かれていない。それによってブラック企業やパワー・ハラスメントがおきやすくなる。一つの要因としてはそう言えるのがある。

 ブラック企業やパワー・ハラスメント(やその他のハラスメント)があることは、それによって害をこうむる者にとっては、迷惑よりもひどいものであり、ものによっては違法なものである。加害や被害がおきないようにすることができればよい。ブラック企業やパワー・ハラスメントがあることを前提条件にしてしまうと、それがあることを肯定してしまうことになりかねないから、肯定するのは避けるようにして、少しでも減らして行くことがいる。

 ブラック企業やパワー・ハラスメント(やその他のハラスメント)は、ていどの問題もあるだろうから、そこを見なくてはならないのはあるが、他者への暴力が振るわれることの度が過ぎれば、不正義なものであるから、それの害をうったえるのは何らおかしいことではない。有益なものである。ただし、個人については、無罪推定の原則があるから、裁く判断のさいにはそこを十分にくみ入れることがいる。