生産性や売り上げを高めるのよりも、まっとうなあり方を目ざすことに重きを置いてもらいたい

 みんなでがんばって努力をして生産性を上げて行く。売り上げを増やして行く。いま新しい経済政策を進めているところである。首相はそう言っているという。

 生産性を上げたり売り上げを増やしたりすることを、みんなでがんばって努力をしてやって行く。首相はそうすることをうながしているが、これにはうなずきづらい。色々な見かたがとれるのはあるが、一つの見かたとしては、たんに生産性を上げたり売り上げを増やしたりするのを目ざすのは、表面的なことを言っているのにすぎないとできる。元気がない人に、元気を出せ、と言っているようなものだ。

 がんばって努力をして行くといっても、がんばるとか努力をするというのは、方向と量に分解できる。方向がまちがっていれば、いくら量を積み重ねてもまちがったほうにしか向かって行けない。方向がまちがっていないかを改めて見ることがいる。生産性とか売り上げとかは数値にすぎないものである。それらを自明とするのではなく、改めて見直してみることができる。国民一人ひとりの幸福とそこまで結びつかないものなのであれば、それほど重んじる必要はないだろう。

 生産性や売り上げなどの数値を高めるようにするよりも前に、適正なことが行なわれているかを改めて見るのがのぞましい。政治において、適正ではないことが政権や省庁によっていくつも行なわれている。それを正さずに、生産性や売り上げの数値を高めるのを目ざしても、数値の総量だけを高めようとするのにすぎず、あまり意味はない。

 右肩上がりに、売り上げや生産性の数値がずっと伸びて行くものではない。みんなががんばって努力すればするほど、数値の総量が高まって行くものではないだろう。精神論で何とかなるものとは言えないのがある。天気で言えば、ずっと晴れるのをのぞむようなものであり、自然の原理に反している。上下に動く循環がある中で、上がるのだけをとろうとするのは非現実的であり、そんなにうまく行くものではないだろう。

 優先してやるべきことは、問題を見つけていって、それを何とかすることではないだろうか。ここが変だとか、あそこがおかしい、といったように声をあげる。声をあげるだけではむなしいのはあるかもしれないが。現実の社会にはさまざまな問題がおきているが、それがまともにとり上げられていないことが少なくない。それらを一つひとつ本質まで掘り下げて見て行き、しかるべき過程をふんで、解決して行くようにする。企業では、トヨタ自動車は、問題が無いのではなく有ることをよしとして、なぜを五回(以上)くり返して掘り下げて見て行くという。政権は、これを少しくらいは見習ったらどうだろうか。

 すべてに効果がある万能の特効薬のようなものはないのだから、生産性や売り上げの数値をがんばって高めようとしても、それですべてがうまく行くようになるものとは見なしづらい。絵に描いたようにすべてがうまく行くのであれば、それに越したことはないのはあるが。それは現実的とは言えないものであり、現実的にやって行くうえでは、まっとうなあり方を目ざすようにしてもらいたいものだ。

 まずまっとうなあり方をとれるようにして、みながもれなく安らいで生きていったり暮らせたりするようにする。政治はそれを何よりもまず一番に目ざすべきではないだろうか。いまの政権にはそれをのぞむことはできづらい。人々のかかえる不安感や不確実感を悪用している。目的と手段が逆になり、手段が目的になっている。疑惑と不祥事だらけであり、危機管理がまともにできていない。この点については、いまの首相や政権が悪いのはたしかだが、それとは別に構造(制度)の問題もあるかもしれない。