せめて学級委員長と同じくらいになってくれればまだしもよいが

 石破さんの売り文句は駄目だ。正直、公正は学級委員長と同じだから、国の長としてかかげるのはおかしい。テレビ番組の中で出演者はそう言っていた。

 自由民主党石破茂氏は、総裁選において、正直、公正の文句をかかげている。これは、いまの首相による政権の疑惑である、森◯学園や加◯学園のことを意識してのものだという。森◯学園や加◯学園の問題では、政権には正直と公正がいちじるしく欠けていると見なされている。

 テレビ番組の出演者は、正直と公正は学級委員長と同じだと言っているが、これはどういうことだろうか。学校の学級委員長がさも言いそうなことだというわけだろうか。たしかに、学校の学級委員長が優等生ぶってさも言いそうなことではあるかもしれない。しかし、それだから駄目だということではないだろう。

 国の長だろうが何だろうが、正直と公正でないのはよいことではない。とりわけ、国の長が正直と公正でないのはまずい。建て前のものではあるが、建て前がなくて本音だけになったら国がつぶれかねない。現に国はつぶれかかっている。悲観論からすればそう見られる。不正義が、政治の中にはびこっていて、それがまかり通っている。与党の多くの政治家はそれをけしかけている。

 正直と公正を石破氏がかかげるのはいけないことなのだろうか。テレビ番組の出演者は、それがいけないことであると言いたいようだ。しかしそんなことはないだろう。正直と公正をよしとしてそれをかかげるのは、そう思ったからであり、じっさいにそれを表したことによる。これは思想と表現の自由である。たとえそれをやって石破氏に不利になるとしても、だからといってほかの人に被害をもたらすものではないのだから、自己決定にゆだねられている。

 首相は、責任と実行をかかげているが、これも学級委員長と同じようなものだろう。正直と公正ができていないのに、責任と実行をやろうとするのはよけいにたちが悪い。責任と実行をやる前に、正直と公正であるべきだ。正直と公正が欠けているのだから、じっさいのありさまは無責任であり不実行だと言える。やらなくてよいことはやらないようにして、やるべきことをやるという具体性がなく、ただ実行と言っただけでは、何を実行するのかはわからないのだから、無責任だと見られる。