正直、公正が、首相にとってのあてつけだととらえるのなら、そこをもっと掘り下げて、そのあてつけがまさに当たっているのだとして自己批判をしたらどうか(じっさいに当たっている)

 正直、公正よりも、和の拘束のほうがとられてしまう。それで、総裁選のうったえであった、正直、公正がとり下げられるのは残念である。たとえ建て前にすぎないのだとしても、正直、公正というのは価値としては共有できるものなのだから、それよりも党の中にはたらく和の拘束のほうを重んじてしまうのはいただけない。変な党だと言わざるをえない。