首相と親しい人が学園の長ということで、学校を認可したのがあるから、まずはそこを政権は自己批判したらどうだろうか(目利きができていない)

 東京大学はもっとお金を稼げる。東大の中に商業施設を建てて、それでお金を稼いだらどうか。東大のほかにも、一般の大学は、お金を稼ぐ努力が足りていない。自分たちで寄付を集めるなどをすることがいる。政権に近い経済学者はそう言っていた。

 たしかに、大学が自分たちの活動に必要なお金を自分たちで集められればそれに越したことはない。お金の面を含めて、大学を改革するというのは行なわれてよいものだろう。そこについてはうなずけるが、政権が上から目線でこうやれとかああやれというふうにするのはどうなのだろうか。

 東大の中に商業施設をつくってしまったら、せっかく大学は学問を専門にしてやっていることの意味が薄くなる。貿易でいわれる比較優位のように、この人はこれが得意で、ちがう人はちがうことが得意だとすれば、それぞれに得意なことをやるのが効率がよい。商売は苦手だけど学問が得意な人は、学問を主としてやる。単純化すればそのほうがよいと見なせる。全体としての益の総量が増えればよい。

 何が主(メイン)で何が従(サブ)なのかが分からなくなりかねないのがある。学問と商売をやるとすると、商売に力を入れて精を出すことで、商売が主で学問が従というふうに逆転してしまいかねない危うさがおきてくる。目的と手段が転倒しかねない。

 政権に近い経済学者は、大学はお金を稼げというふうに言っているが、そのいっぽうで、特定の大学を力づくで認可するのに賛同してもいる。それが矛盾している。石破茂氏による石破四条件というのがあり、それを当てはめれば認可できないものが、首相に近い人が学園の長をしているということで、特別に認可された。特例をつくってしまっている。これでは、大学のことを批判する権利は、いまの政権にはないのではないか。

 自分たちでお金を稼ぐ努力をしていないのは、大学に限られないものだろう。その努力をしろというのなら、たとえば N◯K にたいしてもそれを言ってもよいのがある。国民から強制でお金をとり立てているからである。お金を自分で稼げというのではないにしろ、もうちょっと国民にいろいろな選択肢を示して、融通を利かせることができるはずだ。N◯K は報道の内容もおかしい。権力に迎合している。これは N◯K に限らず少なからぬ民放の報道にも当てはまることではある。報道のしかたがおかしいかどうかは、人によって受けとり方がちがうものではあるだろうが。

 国や政治家は、お金の無駄づかいをしないようにして、国民の税金や社会保険料の負担を減らすようにするのがあってもよい。低所得者にお金の負担が重くなる逆進性がはたらかない工夫をする。もっとも税金や社会保険料は、給付(受益)と負担のかね合いが関わるものではあるし、給付を受ける者と負担する者が不透明になってしまっているのも関わる。

 大学が自分たちでお金を稼げるように努力するのをうながすよりは、それができるような外の環境を整えるようにする。それで大学が変わるようにして、広く国民の益になるようにできればよい。首相と親しいということで、その学園の長による大学を特例で認可してしまうくらいだから、政権がおし進めることが頭から正しいとは見なしづらい。大学というのは色々な学問を行なっているのだから、政権よりも知恵があるのは明らかだ。大学にたずさわるさまざまな分野の学者やそのほかの人の声を受けとめて、それで話し合いによってあり方をどうするのかを決めて行く。そうするのでないと、さまざまな人の声を生かすことにならないのでもったいない。