悪魔の代弁者(devil's advocate)を買って出ていると見ることができる

 経済や社会保障や安全保障について、根底から問い直す。変えて行かなければならない。それがいるのだと、自由民主党石破茂氏はテレビ番組で言っている。これはとても意義のあることだと見なすことができる。何が何でも変えて行くことがいるかどうかはひとまず置いておくとしてのものである。

 経済や社会保障や安全保障などのことについて、根底から問い直すことがいるのだと石破氏は言っているが、逆にいうと、それがほとんどできていないのがいまの首相による政権だろう。根底からというのもそうだが、政権にたいして疑問を投げかける人が、政権のまわりにはきわめて少ないのではないか。たとえば、官房長官の記者会見で、孤軍奮闘して質問を投げかけるのにがんばっているのは、東京新聞の記者くらいしかいない。

 経済などについて根底から問い直すには、トヨタ自動車などの製造業の企業で用いられている、なぜを五回くり返すといったのを使うことができる。五回だけでなくて、もっとたくさんなぜをくり返してもよいものだろう。五回ではなく三回くらいでもよいとされる。

 いまの首相の政権では、目だつものとして森◯学園と加◯学園の疑惑があり、さらに省庁による公文書の改ざんもあるが、それらについて、なぜの問いかけを何回もくり返して投げかけて、主たる原因を見て行かないとならない。本質を見て行く。しかしそれがまったくと言ってよいほど行なわれていない。政権にそれをやる気がなく、自浄作用を完全と言ってよいほどに失っているせいだろう。

 石破氏は、経済などについて、根底から問い直すことがいるとしてるが、逆に言うと、その根底から問い直すということのほぼ対極にあるのが、いまの政権だということができる。いまの政権では、一つの閉じた物語がとられてしまっていると見ることができる。その閉じた物語をとってしまっているがために、根底から問い直すことができないでいて、そのさまたげとなってしまっている。閉じた物語は一つの呼びかけであり、その政権からの呼びかけに応じてしまうのは、それぞれの人の自由ではあるから、せん越ではあるが、見かたによっては危ないところもある。それは閉じた物語による作用である、虚偽意識(イデオロギー)の呼びかけであるからなのがある。

 ちょっと主観が入ってしまっている見かたではあるかもしれないが、経済を含めて色々なものごとを根底から問い直すためには、閉じた物語による虚偽意識ではなくて、開かれたあり方をとることがなければならない。いまの政権にはそれはほとんどのぞめないが、石破氏にはそれがかろうじて(かすかに)のぞむことができる。