できるだけ避けたい相手

 数では負けはしない。量(数)でいったら負けることはなく、勝つことはまずまちがいがないが、質でいうと相手にしたくない。じかに向き合ってやりとりをし合うのはできるだけ避けたい。ぼろが出てしまうからである。首相にとって、さしあたっての脅威は、党の中にただ一人いるのがあり、それは総裁選に出馬する石破茂氏である。

 脅威というのは、危機と言い換えられる。それは首相が自分で引きおこしたことである。自分で引きおこしたことであるにもかかわらず、それから逃げ回っていて、まともに向かい合おうとしていない。総裁選では、数で上回って勝ちさえすればよいとしているのだろうが、それで勝つのだとしても、手段と目的があべこべになっていて、むちゃくちゃになってしまっている。悪貨は良貨を駆逐するといったところだろうか。

 首相にとって石破氏は脅威だというのは、たんなる仮説にすぎないものではある。決めつけられはしないものだが、そう見られるわけとしては、主(主人)と奴(奴隷)の弁証法があげられる。これは哲学者のヘーゲルが言ったことであるという。

 首相は主だが、主であるために、まわりから持ち上げられることもあり、甘えや腐敗(スポイル)がおきやすい。叩かれて伸びるとはなりづらい。まわりが持ち上げることで、外からの動機づけがおきて、内からの動機づけがおきづらくなる。外からの動機づけとは、ほめられておだてられるのを自分のかてにすることなどである。外からの動機づけを重んじてしまうと、内からの動機づけがおきるのをはばむ。

 主である首相と対立することになる者は、主ではなく奴であり、(疎外などのために)内からの動機づけを持ちやすい。内からの動機づけとは、ほめられたりおだてられたりしないでも、やることに意味があるからやるといったものなどが当てはまる。うまくすれば、自分を高めて行くことができて、質を上げることにつながり、主を上回ることができる。それで主は奴から逃げ回るといったことになる。