日本が必然としていわれなき非難や、事実とちがうことを言われているとは見なしづらい(可能性としてはあるだろうが)

 日本の名誉を守る。そのためには、いわれなき非難や、事実とちがうことにたいして断固として反論することだ。自由民主党の元防衛相はそう言う。どのようにやって行くかとして、国益を守ることに政治家としての軸足を置いて行きたいとしている。

 元防衛相の言っていることは、個人としては受け入れがたいものである。そのわけとして、一つには、元防衛相のとっている前提条件を見ることができる。いわれなき非難や、事実とちがうことを、日本は言われてしまっているというふうにしているが、これは必ずしもそうとは言えそうにない。いわれなき非難や、事実とちがうことと決めつけることはできないのがある。

 元防衛相は、日本の名誉や国益を守ると言っているが、そうではなくて、事実を認めることのほうがずっと大事だろう。たとえ日本の名誉や国益にならないことであっても、あることがもしも事実であるとするのなら、それを認めるようにする。そのほうが、日本の名誉や国益よりもずっと価値のあることなのではないだろうか。

 日本は色々な問題をかかえているが、それを解決して行くことにつなげるようにする。問題を解決するためには、事実を認めることが原則としてあるのでないとならない。それができていないから、問題が解決できず、危機が派生して行ってしまっている。どうしても、日本の名誉や国益といった自尊の認知の歪みがはじめに大きくはたらいてしまう。そこの自尊(自国尊重)のあり方をそのままにするのではなく、逆にして見ることがいるだろう。自尊のあり方では、自国をよいものとして確証(肯定)するものだが、それを逆にしてひっくり返す。反証(否定)してしまうことができる。そうすることによって、確証の認知の歪みをやわらげて改めることにつなげられる。

 可能性としては、日本がいわれなき非難や、事実とちがうことを言われているのはあるかもしれない。それはあくまでも可能性の一つであり、そうではない可能性もまたあるから、それをおろそかにしないようにすることがいる。かりに、日本がいわれなき非難や、事実とちがうことを言われているとしたら、断固として反論するべきなのだろうか。必ずしもそうだとは言えそうにない。(いまの首相のように)批判されてすぐさま感情的に立腹するのではなく、溜めを持てたほうがよい。もし批判が当たっているのであれば、認めればよいし、逆に当たっていないのなら、腹を立てる必要はない。当たっていない、的を外した批判だからである。一つのあり方としてはそう言えるだろう(じっさいには難しいかもしれないが)。