首相にやってもらうのが国益に沿うと言うべきだというのが、(首相にやってもらうのが)国益に沿わないことであるのをあらわしている(批判を封じているので)

 このあいだの辞退のしかたは何だい。理解ができないよ。総裁選に出馬するのを辞退した自由民主党の議員について、辞退の説明のしかたがおかしいと言うのは、自民党財務相である。財務相は、どうせ出ないのなら、もっとかっこよく、きちんと説明しなきゃと言ったという。出馬を辞退した議員に面と向かって、基本的に話にならんと財務相は言ったそうだ。

 どういう辞退のしかたがふさわしかったのかというと、財務相によると、安倍(晋三首相)にやってもらうのが国益に沿うから出馬はしません、と言うべきだという。もし自分が出馬を辞退した議員だったらそう言うとのことだ。

 安倍首相にやってもらうのが国益に沿うから出馬はしませんと言うことの、どこがかっこよくて、どこがきちんとした説明なのだろうか。かっこよくはないしきちんとしていないものだろう。財務相にしたらかっこよいしきちんとした説明なのかもしれないが、(出馬を辞退した議員のものよりも)こちらのほうが理解できないし話にならないものだという気がする。

 よほどおかしなものでないかぎり、どんなふうに総裁選の出馬を辞退するのを説明してもよいはずだ。こうでなければといったものではないだろう。それが許されず、首相に忠誠を誓わないと利得を与えないとするような、質の低いいじめのようなことが党の中で行なわれているにちがいない。こうしたことがおきることを含めて、首相にやってもらうことが国益に沿っていないのがあり、それを意図せずに示してしまっているものだと見なせる。