正直と公正ということからすると、いまの政治のあり方は退廃のきわみだろう(そこまで言いすぎではないはずだ)

 正直、公正をかかげる。自由民主党の総裁選に出馬する石破茂氏は、正直と公正を売りの言葉としてとっている。その二つにくわえて、謙虚でていねいな政治をつくりたいとしている。

 正直と公正とは逆に、嘘と不公平がいまの首相のあり方だとして、パロディの画像がつくられているのを見かけた。これはまさしくその通りであり、いちじるしい不公正でもある。これは改められなければならない。

 いまの首相は、できるだけていねいに説明して行くとして、口では言うものの、じっさいの行動がまったくと言ってよいほどともなっていない。いまの首相が口では言っているが、まったくと言ってよいほどできていない行動の欠如を指し示しているのが、石破茂氏による正直と公正の売りの言葉だろう。いまの首相のあり方のちょうど反命題(アンチ・テーゼ)になっている。

 いまの首相が陽だとすると、石破茂氏は陰だろうか。いまの首相は陽に偏りすぎていて、自己欺まんの自尊心がはなはだ強い。政治や社会のあり方がそれに引きずられて偏ってしまっている。夜郎自大や、大に事(つか)える事大主義になっているのはいなめない。それにたいして疑問を投げかけているのが、石破茂氏による陰のあり方である。いまの首相によってものごとのつり合いがぶち壊されてしまい、不つり合いになっているのを、中庸をとるために、つり合いを戻すことは重要だ。

 少なからぬ人からは嫌われるだろうが、個人としてはよいと見なせるのが、石破茂氏は外交や財政(経済)なんかで、短期ではなく長期の見かたをとっていそうな点だ。いまの首相は長期の視点をほとんど持ち合わせていないで、短期の視点しか持っていないのがどうしようもない。

 たとえば外交では、日本ととなり合う国とは、将来の影がついて回るのであり、ずっとつき合って行くことになるから、いがみ合うのはのぞましくない。くっついたり離れたりが気軽にできる人間の関係とはちがう。それをいまの首相は、外交で一番やってはいけないことの一つである、日本ととなり合う国への敵対の感情をあおってしまっている。それで一部の国民をたきつけて、首相への支持へと結びつけている。これは首相が短期の視点をとっていることをあらわす。

 少なからぬ国民からは嫌われるのはあるが、国の財政においては、均衡や健全化をとるようにすることが大切だ。この点については、いやそうではないのだとする意見もあり、色々な見かたはとれるものかもしれない。短期の視点であれば、財政の均衡や健全化などどうでもよいとできるのはあるが、そうではなく長期の視点をとると、均衡や健全化は重要になってくるものだろう。短期としては損や痛手になっても、長期としては益になるというのが、いまの首相のあり方に決定的に欠けている点である。

 財政の均衡や健全化をとらないのは、短期だけではなく長期の利益にもなる、という見かたもあるかもしれない。そこは専門的なことはくわしくはわからないが、勉強不足だとかわかっていないとかという欠如のあり方ではなく、対話のあり方をとることがのぞましい。欠如モデルや伝達モデルではなく、対話モデルや構成的モデルがとれるとされる。〇か一かのような、正解か不正解かのどちらかにはっきりと分けられるのではなく、対話(議論)によって少しずつ見えてくるものがあることが見こめる。勉強不足を解消することも大事ではあるだろうけど。

 いまの首相のあり方は、効率が重んじられすぎていて、適正さがないがしろになり、大衆迎合になっている。それによるおかしさを言うことはあってほしいものだ。限界はあるだろうけど、いまの首相のように大衆に迎合するのではなく、そうするのをなるべくいましめて、多少は煙たがられても言うべきことは言い、おかしいものに対してはおかしいという声をあげられるようになればのぞましい。