対話はとてもよいものではあるが、それでやっかいなことがらを魔法のように解決するというのでは、話が飛躍しすぎている(やっかいなことがらが解決するに越したことはないが)

 さいごは私自身が金正恩委員長と向き合い、対話を行なう。核やミサイルや、何よりも重要な拉致問題を解決して、新しい日本と北朝鮮との関係を築いていかなければならない。自由民主党安倍晋三首相はそう言ったという。

  あたかも自分をトランプのジョーカーのようにして、最後の切り札みたいにしているが、そんな都合のよいことはおこりそうもない。たしかに、対話はとても大事なものではあるが、何もかもを一挙に片づけられるほどの魔法のようなものではない。たぶん首相はわかっていることだとは思うが。

 日本の国会では、ご飯論法や信号無視話法をさも当然のごとくに首相および大臣たちは用いている。いまの政権与党がもっともやる気をもたず、苦手とすることの一つが対話だろう(もっとも得意とするのが独話である)。とりわけ首相は、少しでも批判を受けるとすぐに、印象操作だ、などと言って論点のごまかしを行なう。直情径行(ちょくじょうけいこう)である。国内では対話をないがしろにすることを平気でやっていながら、国外では手ごわい相手と対話ができるとは見なしづらい。練習をしないでいきなり強敵との本番の試合にのぞむようなものだろうか。