自由民主党によるいまの政治の世界と似ていて、その縮図のようであり、符合するところが少なくない

 日本ボクシング連盟の会長は、助成金を不正に流用したとして報じられている。試合で一方の選手に有利になるように判定を裏で動かしていた疑いも言われている。会長は、悪いことは一切やっていないとして、辞任するつもりはなく、このままつづけて行くのだという。

 この会長は終身会長ということで、これはアマチュアでは異例であるそうだ。ずっと会長でいつづけられるものだろうから、権力を手ばなしたくない思わくがうかがえる。権力によって支配をするのと共に、権威主義になっているのがある。自分は世界のカリスマとして名を知られていると自分で語っていた。権威主義のあり方において、いざことがおこると、会長(リーダー)が注目のまとになり、いままでの安定が崩れて、不安定になる。これは決してよいことではない。いまの政治の世界にも言えることである。いまは首相によって虚構の安定が形づくられている。

 選手が勝ち得た成果を、あたかも連盟の手がらのようにしているのがあり、恩に着せているのははたから見ておかしいものである。連盟は選手を支えるのは当たり前のことであり、それを選手に恩着せがましくしてしまっては駄目だろう。選手が勝ち得た成果はあくまでも選手のものなのであり、連盟は主役ではないのだから、手がらを横どりするのは主役とわき役をはきちがえているとせざるをえない。

 会長の人物像というのがあったのだけど、方針として、よきものは残して改革するべきものはいかなる弊害があれどもなし遂げる、としている。この方針をとるのであれば、会長はすみやかに職を辞するべきだろう。報道で色々と報じられるのや、会長の弁明の内容を少し見たかぎりでは、まったく白というふうには見なしづらい。

 会長は弁明の中で、自分が声をかければ何千人も人を集められるだとかという変なことを言っている。会長を訴えた訴訟では数百人ほどの人の数だが、それよりも多くの人を集められるという。どれだけの人を集められるかの数によって正しさが決まるわけではなく、たとえ数が相対的に少なかったとしても正しいものは正しいだろう。何千人も人を集められるといっても、日本には一億人以上の人がいるのだから、その中の何千人はそこまで大したものではない。

 五輪のボクシングの競技で金メダルをとった選手を、会長は自分や連盟のおかげで金メダルをとったとして恩に着せてしまっている。会長や連盟は、選手が金メダルをとるのに力を貸したのはあるかもしれないが、選手が今回の件で批判の声をあげるのはそれとはまた別の話である。いぜんに力を貸してもらったから、おかしなことがあっても黙っているというよりは、黙らずに声をあげるほうがまっとうだ。

 五輪で金メダルをとった現役の選手からも批判の声があげられているのがあり、これを無視することは難しいものだろう。危機管理の点でいうと、会長が職を退くことがまず第一歩であるとはた目からは見なせる。危機に対応するためには、ほかの人に地位をゆずり、新しい人が改革に着手するのがふさわしいのがある。ボクシングの世界とは別に、政治の世界では、公文書の改ざんなどをおこした財務省は、責任者である大臣がずっといすわりつづけていて、また改ざんとまったく無関係ではないにもかかわらず、総理大臣も責任をとらないで、膿(うみ)を出そうとはせず、そのまま平気でいすわりつづけてしまっている。同じ穴のむじなといったところだろうか。