国民と権力者(政治家や公務員など)は同列ではないし、憲法の義務を持ち出すのであれば、いかに権力者が憲法を守れていないでないがしろにしてしまっているかを指摘することがいる

 憲法で定められた国民の義務は、勤労と納税と、教育を受けさせることである。それらの義務を果たしていれば、権利を主張してよい。どのような生き方をしても、どのような考えをもっても、犯罪でさえなければ個人の自由である。自由民主党の議員はツイッターのツイートでこう言っていた。

 自民党の議員はツイートのつぶやきで国民の三大義務を言っているが、それを持ち出すのであれば、憲法の三大主義をまず言うべきだろう。三大主義の一つには基本的人権の尊重があるのであり、これは義務を果たすことと交換で権利が与えられるものではない。基本となる人間としての権利はすべての人にはじめから与えられているものである。

 憲法で国民に課せられる三つの義務があることはたしかだけど、その義務さえ果たしていれば、どんな生き方や考え方をしてもよいとは言い切れない。国民についての話と権力者についての話がごっちゃになってしまう。政治家や公務員などの権力者は憲法をしっかりと守ることがいるのであり、どんな生き方や考え方をしてもよいとは言いがたい。権力者は、生き方や考え方が、最高法規である憲法の枠の中でというふうに制限されることになるから、国民の三大義務を果たせばそれでよいとは見なしづらいものである。

 たとえ悪気はないのだとしても、国民にたいしてとやかく言う前に、とりわけ与党の自民党に属する議員の人たちは、しっかりと憲法の決まりを守るようにしてもらいたいものである。それがしっかりとできていないでいい加減になっているのだから、政治家や公務員などの権力者は憲法を守ることをまず第一にしてほしいのがある。

 国民が自由になることと、政治家や公務員などの権力者が自由になることとは、一致するものとは見なしづらい。あたかも国民と政治家や公務員などの権力者が同じであるかのように見なすのはおかしいし、たんに犯罪をしなければよいというのは国民については当てはまるものだが、政治家や公務員などの権力者にはさらにそのうえに憲法の決まりによる歯止めがかかることがいる。その歯止めが今はかなりがたがたになってしまっていて、退廃が深刻になってしまっている。一般人に近い人には厳しくて、権力者(とそのとり巻き)には甘くなっているのがあり、不正義な二重基準が大手を振ってまかり通っている。