税金の使いみちの優先順位がおかしいのはほかにもっと色々あるのだから、そこを言わないのはおかしい(自然災害の復興よりも、軍事の戦闘機を海外から買わされるのに膨大なお金を使っているのなどがある)

 ウェブで叩かれてるけど、大丈夫なのかと気づかう。まちがったこと言っていないのだから、胸を張っていればよいとか、そのままでよいとかと、大臣をはじめとして、上のほうの議員が下の議員に声をかける。自由民主党の中ではそうなっているようである。

 ウェブで叩かれている自民党の議員は、ツイッターのツイートで、同じ自民党の議員からはげまされたりかばわれたりしているということをつぶやいている。ここに、いまの自民党の体質がまざまざとあらわれていると見てとることができる。

 叩かれている議員は、税金の使い方というのをだし(手段)にして、性の少数者である LGBT のことを生産性がないとはっきりと言っている。それで支援する大義名分はないというふうに言っているが、これでは、税金の使い方というのを名目として、じっさいには社会的偏見(social bias)をうながしてしまっている。なので適していない発言だということができる。

 叩かれている自民党の議員は、税金の使い方ということにおいて、大義名分というのを言っているが、ここでは大義名分というのを持ち出すのではなく、実在の社会のあり方を見て行くのがふさわしい。実在の社会のあり方では、性のありようは複雑になっているものだろう。単純に男性と女性というふうには割り切れず、さまざまなありようになっている。色々な性のありようがあり、それをできるだけ尊重しようというふうにすることができる。

 生産性の有り無しというのを大義名分として持ち出しているのが、叩かれている自民党の議員による発言である。その大義名分を持ち出すのは適したものではないが、これをよしとしてしまっているのが、叩かれている議員をはげましたりかばったりしている同じ自民党の議員である。おそらく自民党は、党としてこの叩かれている議員の言っていることを肯定しているはずである。もし肯定しないで否定するのであれば、否定する意思を示す何らかの声明を出さなければならない。それで叩かれている議員にたいして注意するなり処罰するなりを行なうことがいる。

 叩かれていることについて、胸を張っていればよいとか、まちがったことは言っていないとか、そのままでよいのだとするのは、適したあり方とは見なしづらい。税金の使い方ということを言っているふりをしながら、じっさいには差別に当たることを言っているのだから、そこは批判されてもしかたがないところである。叩いたり批判したりするほうが悪いとするのではなく、双方向のやりとりによって修正をすることができればよい。それをするのであれば、胸を張れないはずだし、まちがいが含まれているのであり、そのままでよいとはならない。