永続して敗戦しているとする説が言われている(先の戦争の最中と、それに負けてからもずっと、無責任な体制が引きつづいてしまっていると見られる)

 先の戦争に負けてから、数十年の時間が経っている。それなりの時間が経っているので、先の戦争においての周辺の国にたいする日本の責任を引きつづきもつことは見直すことがいる。周辺の国にこれからも謝りつづけることは必ずしもいらないのだという。テレビ番組に出ているタレントの人はそう言っていた。

 たしかに、先の戦争に日本が負けてから数十年の時間が経っていて、それはそれなりの年月が経っているとすることができる。しかし、たんに時間がそれなりに経ったからということで、果たすことがいる責任を果たさなくてもよいことになるのかというと、そうとは言えないところがある。

 先の戦争について、日本はしっかりと責任を引き受けて、それを果たしたのかというと、そうとは言えないのがある。うやむやにしてきてしまったのがある。あいまいである。戦中(戦争)や戦後をきちんと客観として公的に定義していないし、しようともしていない。それが原因にあり、そこからの結果として、いまだに先の戦争における日本の責任が、周辺の国などから問われつづけているのではないだろうか。名目としてはそれなりの年月が経ったのはあるが、そこから差し引くことがいる。

 一九九〇年ごろから、先の戦争で日本が韓国などの周辺の国に不当な性の被害をもたらしていたとの声があがってきたという。従軍慰安婦についての問題である。これは、先の戦争に負けた時点からではなく、一九九〇年代に声があげられはじめたのだから、そこから年月を換算することができる。そうすると、まだ二〇から三〇数年しか経っていない。まだはじまったばかりだというふうに見なすことができる。この見かたが絶対に正しいということはないのはあるが、先の戦争に日本が負けてから経った年数は、圧縮することができて、縮めてとらえる見かたが一つには成り立つ。