言葉のストライクゾーンの問題がある

 与党の政治家が発することがある。その発言は伝達情報であり、これを一つの球と見ることができる。この球を甘めに見のがしてしまうのが、首相をはじめとする与党の政治家をなにかと擁護する人たちだとできる。

 首相をはじめとする与党の政治家は、伝達情報という球を、おかしな形で用いることがしばしばある。それを見のがしてしまうのは、擁護することであり、ボール球でもストライクとしてしまう審判のようなものであるだろう。

 言葉のストライクゾーンがあるというのは、文学者の丸谷才一氏によるものである。それは為政者の発言にも当てはめることができるものだろう。一般の多くの有権者とだいたい同じようなストライクゾーンであればよいが、それを裏切るようにしてしまっているのが首相をはじめとする与党の政治家には目だつ。

 首相をはじめとする与党の政治家は、伝達情報という球を投げてくるわけだが、それを分析としてとらえることが、とりわけ大手の報道機関にはあってほしいものだ。そうでないと、戦前や戦時中の大本営発表のようになってしまう。雨だれのような報じかたになる。これだと国民の益になるとは必ずしも言えないものになる。

 為政者による伝達情報の球を、うかつに受け入れてはならないのは、独自の自己流で用いていることがあるからである。たとえば、首相は森◯学園や加◯学園のことについて、うみを出し切ると言っていたが、じっさいにはそれをほとんどまったく行なってはいない。うみというのを一つの球と見ることができるとすると、その球を独自の自己流で勝手に用いているのである。このうみという伝達情報の球は、まちがいなくボールであるが、首相を擁護するのであれば、それをストライクと見なすことになるだろう。

 伝達情報の球が投げられて、それがしっかりと批判や分析でとらえられているのならよいが、そうではないのならまずいことである。大手の報道機関で、公共放送の N◯K なんかは、ほんとうは審判としてきちんと批判や分析をしなければならないはずだが、それがかなり不十分であり、はっきりといってざるになってしまっているのだと言わざるをえない。ボールでもストライクにしてしまっている。

 ボールをストライクにしてしまうのを改めるには、首相をはじめとする為政者が発する伝達情報の球を、一つひとつ確かめるようにして、一つひとつに引っかかりをもつようにするのがのぞましい。細かいところに引っかかるようにする。野球で審判が、投手の投げる球を一つひとつ判定をするようにできればよい。いまのところ、そうした視点をとくに N◯K なんかはほとんどもっていないで、権力者である投手におもねり、ひれふして、おもんばかってしまっているのがなげかわしい。国民にとって益になるような視点をもつことはできていないのにもかかわらず、国民から受信料をとり立てることばかりに目を向けてしまっている。