自民亭の親ぼく会に出ていた政治家の人たちには、楽観による希望的観測や、正常性(日常性)の認知の歪みがはたらいていたと見なせる(防災と危機管理の本を出している内閣官房副長官には、とくに厳しい見かたを投げかけざるをえない)

 西日本でおきた豪雨では、まえもって気象庁が注意を呼びかけていた。政権をになう与党の政治家は、気象庁が呼びかけていた注意をきちんと受けとめて、重大な被害がおきかねないと予想していたのかというと、そうではなかったようである。

 政権をになう与党の政治家は、豪雨による被害のおそれを軽んじてしまっていたのがある。自由民主党の議員の一部は、自民亭という親ぼく会を開いていて、そこで和気あいあいと楽しそうに酒食を共にしていた。宴を開いていたのである。首相や防衛相や法相などが出席していた。ちなみに、法相においては、七人もの死刑囚の死刑を執行する前日でもあった。この死刑の執行には、西洋の国や国際機関から疑問の声がよせられて、制度の是正が呼びかけられている。

 自民亭の宴に参加していた一人である内閣官房副長官は、その宴の楽しそうなもようをソーシャル・ネットワーキング・サービスに写真とともにのせていた。この官房副長官は、命を守る防災と危機管理という本を出しているという。防災と危機管理の本を出しているわりには、防災や危機管理への意識が甘かったのだと言わざるをえない。

 自民亭の会に参加していた多くの議員の人たちと同じように、官房副長官は、豪雨の被害についておそらく楽観の希望的観測をとっていたのだろう。危機管理においては、楽観の希望的観測をもつのは危険なことであり、避けるようにしなければならない。なにしろ、防災と危機管理についての本を出しているくらいだから、それについての甘さがあったのをきびしめにふり返って見るのは必要なことだろう。

 官房副長官は、西日本に豪雨の被害がおきたあとで、こう述べている。気象庁が豪雨についての警戒を呼びかけていたのにもかかわらず大きな被害がおきてしまったことから、それぞれの自治体が政府の呼びかけにたいして、どう反応したかを検証していくことが大事である。官房副長官のこの発言は、自治体に責任を転嫁してしまっている。自分たちは自民亭の会をひらいて和気あいあいと酒食を楽しんでいながら、自分たちには何の落ち度もなかったのだとしてしまっている。この発言は個人としてはいただけない。

 自民亭の会に参加していた議員の一人である竹下亘氏は、豪雨についての想定が甘かったことを自分で認めて、どのような非難でも受けるつもりであると述べている。これだけの災害になるとは予想をしていなかったというふうにふり返っている。竹下氏のこの発言からは、率直なありようを見てとることができる。

 竹下氏に比べて、官房副長官は、防災と危機管理の本を出しているのにもかかわらず、おうじょうぎわが悪い。竹下氏のように、どんな非難でも受けるつもりだというのならまだしも、責任を自治体に丸投げしてなすりつけてしまっているのだから、しまつが悪い。危機管理という点においては、官房副長官は、二重に失敗をしているのだということができる。少なくとも、竹下氏のように、自分(たち)が非難を受けるいわれがあるとするのでなくては、当事者意識に欠けてしまっている。