日本で排除をされたことについての応報律がある(不正義は何らかの手だてによって回復されなければならないものだろう)

 イギリスの公共放送である BBC は、日本の秘められた恥と題するテレビ番組を放送したという。この番組はドキュメンタリーであり、日本で性の被害を受けたとされる女性に照明を当てている。

 このイギリスの BBC の番組に出た女性は、日本の社会から排除されたと見てさしつかえないものだろう。この女性が、絶対にまちがいなく性の被害を受けたとは言い切れず、そこには留保をつける見かたができるのはあるかもしれないが、日本の社会がまったく正しいというのではないのがあるから、日本の社会におけるおかしさやまちがいを浮きぼりにすることにつなげられる。一か〇かでとらえるのではないようにできるとすると、まったくおかしさやまちがいがないとはできづらい。適正さよりも効率を日本の社会がとってしまっていることにたいするおかしさやまちがいを指し示すことができる。

 BBC のテレビ番組に出た女性は、性の被害を受けたのがあるとして、そこで排除されて、さらにもう一度排除されている。二重に排除されているわけだ。こうしたことがおきてしまうのは、日本の社会に創造性が欠けていることをあらわす。個人としてはそのように見なしてみたい。

 創造性が欠けているのは、被害を受けたことによるなどして困っていたり苦しんでいたりする人の声をきちんと受けとめていないためである。まともに声を受けとめていないのにもかかわらず、為政者は日本がよいとか美しい国だなどとうそぶいている。よいのや美しい国だというのも一面においてはあるかもしれないが、そのいっぽうで、創造性に欠けているのもたしかだ。これは定性によるものであり、定量によるものではないけど、数値ばかり追いかけて、その数値による効果がとられている。実質や内実は軽んじられてしまっているのは無視できづらい。