フランスでは、憲法の改正で、人種の文言をなくすのだという。なぜそうするのかというと、人種はないものだということによる。人種はないのだという合意が、広く国の議員のあいだでとられているそうだ。
同じことを日本でやったとしたらどうなるだろう。フランスとはちがい、日本では人種の差別がかえって強まったり深刻になったりしてしまうにちがいない。日本では、国の議員のあいだで、人種というのはないものだという合意はとれそうにない。日本人という民族や人種はあるのだという見かたが、とりわけ与党の政治家において、根づよくとられている。
フランスとはちがい、日本ではまだ憲法の文言から人種というのをなくさないほうがよさそうだ。フランスでは人種の文言を憲法からなくしてもうまく行くのかもしれないが、日本で同じことをしてもとうていうまくは行かないだろう。よくなることはなく、悪くなることが危ぶまれる。
なるべく自民族中心主義や人種へのこだわりを弱めることができるようであればばさいわいである。その逆に、強めるような動きがとられているのがあるので、憲法の文言から人種というのをなくす段階にはほとんどまったくいたっていないのは認めざるをえない。