信号無視が重なっているので、免許を停止してもよいくらいなのではないか

 質問にきちんと答えない。それを信号の赤であるとする。聞かれたことをそのままくり返すが黄色の信号だ。首相の答弁を、信号の青と黄と赤によって分析している人がいるという。きちんと質問に答えれば青であり、そうでなければ黄か赤だとなる。色分けして見るのはわかりやすくて有益なものである。

 質問にまともに答えるのは青であり、議論のやりとりでは基本となることである。理想としてはすべて青であるくらいでないとならない。それがないがしろになってしまい、答弁で信号無視話法をくり返す。赤信号や黄信号でも、与党が一丸となってみんなでわたれば怖くないというわけだろうか。赤信号、選挙で勝てば、怖くない、とか、支持率あれば、怖くない、なんていうふうになってしまっている。選挙で勝ったからとか、支持率がそれなりにあれば、信号無視の答弁をしても許されるというわけだ。

 聞かれたことにまともに答えないで、赤信号や黄信号となるような信号無視の答弁は、まったくするなというほどきびしく見なくてもよいかもしれないが、それをするのを大目に見て許してしまっているうちに、ずるずると悪い方へ進んでいってしまいかねない。そうした危うさがある。適正さがないがしろになってしまっている。

 めんどうではあるかもしれないが、政権与党による一つひとつの信号無視話法の答弁を見のがさないようにして、それをしないようにするべきだというふうに言っていったほうがのぞましい。一つひとつについて、駄目なことなのだと言ったとしても、まともに聞き入れられないのなら、ぬかに釘であるしのれんに腕押しであるから、むなしいことではあるが。

 信号無視をするのがだんだんとエスカレートしていってしまい、今にいたってしまっているのがある。ほんの小さな信号無視であればまだそこまで実害は少ないだろうが、それが常態化してしまい、ひどいことになれば、大きな事故をまねきかねない。信号無視話法をする権利は、政権与党にはないはずであり、信号は守らないとならない義務があるはずだけど、その義務を守らないようではおかしいことである。それを守るのがないようでは、どのようなやりとりをやったとしても、実りはあまり見こめそうにない。乱雑さ(エントロピー)がたまっていってしまう。