痛くもない腹ではなく、痛い腹だから、それを探られるのが痛いのではないか(権力チェックとしてはそう見ることができる)

 痛くもない腹を探られるのを避ける。そのために、公文書の改ざんをした。そこはまちがっていた。財務省の役人は国会の野党からの質問にそう答えたという。国会で野党からきびしい追求をされるのを避けるため、公文書の改ざんをしてしまったとのことだ。はたしてこれは本当のことなのだろうか。

 そもそも、公文書の改ざんという手段は、いかなる理由であってもやってはいけないことなのだから、その手段を行なったのだとしたら、その時点でおかしい。そこはまちがっていたというか、すべてまちがっていたことになる。公文書の改ざんという手段を行なった時点で、いかなる言い逃れもできないはずである。

 痛くもない腹を探られたり、国会で野党から厳しい追求を受けたりしたから、公文書の改ざんをしたということを役人は言っている。もしそうだとすると、痛くもない腹を探られなかったり、野党から厳しい追求をされなかったりすれば、公文書の改ざんはしなかったことになる。野党から探られたり追求されたりすると、公文書を改ざんすることになるけど、それをするのとしないのとの境い目は何なのか。こうした境い目があること自体がおかしいのであり、境い目なしに義務として公文書は改ざんしてはいけないはずだ。

 政治家や省庁が恣意で公文書を改ざんしてよい権利はないはずであり、もしそれがあるのだとしたら、客観で示すようにしないとならない。陰でこそこそやらずに、公衆の面前で堂々とやるようにする。客観で示せるのは、公文書を改ざんしてはいけないということだけだろう。それをじっさいに破ったのだし、かりに破っていないにしても、権力者やそれに近い者には、無罪推定で見るわけには行きづらい。

 じっさいに公文書を改ざんしたのがあるわけだから、それであとから痛くもない腹だとか言っても説得性がきわめて低い。痛くもない腹が先にあるのではなく、公文書の改ざんが先にあるのだとして、そこを出発点にして見るのがふさわしい。そこを出発点にすれば、無罪推定ではなく、有罪推定で権力者やそれに近い者を見ざるをえないものだろう。白ではなく、黒もしくは灰色とせざるをえない。ほんとうは白だけどというのは言いわけにすぎないものである。もともと黒もしくは灰色だったのであり、それを野党のせいにするのは、黒や灰色であるのを強めることにはなっても弱めることにはなりづらい。