演繹として上から言うのではなく、帰納として下からの声をすくい上げるのがいる

 三人以上子どもを生むようにしてほしい。結婚式でそうしたあいさつをする議員の人がいて、波紋を呼んでいるという。この議員は、あいさつについて、賛同する人もいるから、そんなにまちがったものではない、としている。あいさつについて賛同する人は少なからずいるのかもしれないが、だからといって、正しいことのあかしにはなりづらい。賛同者がいてまちがっていることもあるからである。

 すごく寒いところにおかれている人に、服を脱いでほしい、と言っているようなものなのではないかという気がする。まちがいなく的を得ているかどうかはわからないが、服を脱いでほしいと言う前に、まずは寒いのを何とかしなければいけないのがある。それが先である。寒いのが何とかなれば、自然と服を脱ぐことができるようになる。

 原因を内(個人)と外(環境)のどちらに当てはめるかのちがいであり、それを外に当てはめるようにして、条件や環境を整えるようにする。そうしないことには、たとえば、売り上げが落ちたから、根性や気力で何とかして売り上げを上げろ、というようなことになる。売り上げを上げろとはっぱをかけるのではなく、売り上げが落ちた真の原因を突きとめることがいる。そのうえでこうしたほうがよいというのを言ったほうが、説得性が高い。