誤解だという解釈は曲解なのではないかという気がする

 つぶせという言葉を誤解された。それがこころ苦しい。大学側はこのような声明を出している。ふだんから、大学のアメフット部では、試合前のかけ声として、最初のプレーから思い切って当たれという意味でつぶせという言葉を用いていたのだという。

 大学側の日本語のあつかい方はちょっとおかしいのではないかという気がする。その印象をぬぐいきれない。最初のプレーから思い切って当たれということを言いたいのなら、最初のプレーから思い切って当たれというふうに言うべきである。何も難しいことを言っているわけではないのだから、記号表現と記号内容を合うようにするほうがよい。記号内容と合わないような記号表現を使ってしまっている。

 一プレー目で(相手の)クォーターバックをつぶせ、とコーチは選手に言ったという。それが事実であると認めながらも、なぜ大学側はコーチのことをかばうのだろうか。たとえそういった言い方が習慣としてとられていたのだとしても、コーチが選手に言ったことは改めて見たら適切なものではない。習慣として言われていたことなのであれば、なぜ誤解がおきたのかが分からない。習慣として言われていたことを証明することがないと、それすらも疑わしいものである。

 一プレー目で(相手の)クォーターバックをつぶせ、とコーチが選手に言うのだとしても、そのすぐあとに、つぶせというのは思い切って当たれということであり、本当につぶしてしまっては絶対に駄目だぞ、と付け加えるのなら誤解は生まれづらい。そのように付け加えるのなら、そもそもつぶせというふうに言わなくてもよいものである。いずれにせよ、つぶせというふうに言わなければならない必然性はほとんどない。

 大学側は、コーチが言葉足らずだったというふうに言っているけど、言葉足らずなのではなくて、適切さをいちじるしく欠く言葉を使っていたというふうに言うのがふさわしいだろう。選手のとらえ方がまちがっていたのではなくて、コーチの言い方がまちがっていたということである。言葉通りに受けとってまちがったことになるのであれば、言葉のとらえ方ではなくて、言葉の言い方がまちがっていたとすることができる。つぶせというのを、つぶすなというふうに受けとれというのは無理があるのであり、コーチは選手を二重拘束(ダブル・バインド)の状況に置いたことになり、選手を傷つけて苦しめたことになるのではないか。