嘘はあとからはげるのがあるから、そこをできるだけ見抜くように努めるのがいりそうだ(最初に嘘をついて、あとになってそれが嘘であるとわかる、というのをふまえるようにする)

 首相のことを信頼する。与党の幹事長はそう言っていた。なぜ首相のことを信頼するのだろうか。首相のことを信頼するのは、首相の言ったことをそのままうのみにすることである。うのみにしてしまっては、正しい見かたにはなりづらい。

 首相の言っていることをそのままうのみにするのは、首相とべったりと一体化することである。一体化するのではなくて、対象化しないとならない。距離をとらないとならない。無距離になってしまっては、判断をはたらかせることができづらく、判断をあずけて他人まかせにしてしまうようなものである。それは避けないとならないのがある。

 与党の幹事長は、どのような思わくで首相のことを信頼しているのかは定かではない。国政選挙で何回も勝っているから信頼しているのかもしれない。たしかに国政選挙では何回も勝っているのはあるけど、ほんとうに意味のある勝ち方をしているとはできづらい。そこまで正統性は高いものだとは言えないものだろう。調査によると、国民の政権与党への不支持率は決して低くはない。

 首相が言っていることなのだから、正しいのだろうとするのは、属人による見なし方であり、根拠に乏しいものである。属人ではなく属事で見て行くことがいりそうだ。首相が言っているからといって正しいとはかぎらないと見なすことができる。本当のことではなく嘘を言っているとしたら、首相の言っていることの逆が正しい。

 何かまずいことがあったときに、まず最初に嘘をつく。その嘘はあとで嘘であることが明らかになる。あとで明らかになるのにもかかわらず最初に嘘をついてしまうのである。絶対にそうだとは言えないが、こういった人間の心理があるのは無視できそうにはない。

 まちがいなく嘘を言っているとは決めつけられないが、嘘はあとからはげる(あとになってばれる)というのは、けっして捨て置くことができない視点である。嘘はあとからはげるのだとしたら、この人だからということで信頼するのはまちがいであり、疑って行かなければならない。たとえ首相であってもというか、むしろ首相であるからこそ、嘘はあとからはげるという視点を無視してはならないものだろう。

 国民の自己統治と自己実現のために、権力チェックを十全にはたらかせることができればよい。権威ということで信頼するのではなく、すすんで疑って行ったほうが、結果として深刻な不安定を多少は避けられる。権威ということで信頼してしまうと、単一による安定をとることになり、これは表面的には安定しているように見えるが、じっさいにはかえって不安定になる。単一なあり方だといざというときに総崩れになって全滅するおそれが低くない。すべてを失い、深刻な不安定におちいってしまってからでは遅いから、その前に何らかの手だてをとれればよい。

 単一のあり方は一見するとよいようだけど、居心地のよいものとは言いがたい。単一のあり方から外れたものを拒んでいるのであり、それは単一のあり方に見合うものの居心地をもひどく悪くする。単一のあり方がとられるようになったとしても、思いえがいたようにはけっして居心地はよくはならない。

 イエスとノーで、イエスばかりを言う人たちがいても、すべてが同じことを言っていることになる。イエスからノーまでの多様な意見がとられていたほうが健全である。現実は不健全な方向へ向かっているような気がしてならない。権力からの呼びかけに素直に答えて、イエスと言う人たちばかりを育てて受け入れてしまっているとしたら、単一なあり方になるので危ないことである。寛容さが少なく、排外思想になっているのは、単一なあり方をうながすものである。