不幸におちいっている国民を、自己責任であるとして切り捨ててしまってはいないだろうか(政権与党は、不幸におちいっている国民に真摯に向き合ってはいないのではないか)

 いつまでも加計学園の問題をやっているのはよいことではない。国民の幸福につながらないし、国のためになっていない。テレビ番組の出演者はそのように言っていた。加計学園の問題を国会でとり上げるのをやめるべきだというわけだろう。

 いつまでも加計学園の問題をやっているのは、それを議論の主題の一つとしてとり上げていることである。そうではなくて、ほかのもっと重要なことを主題としてとり上げるべきだというのはたしかに言えることだ。しかし、これはどのようなことを議論の主題にとり上げるべきかにとどまることではない。議論の前提がはなはだしくおかしいのである。

 加計学園森友学園は具体のことだけど、それを一般化できるとすると、加計や森友では政権与党(と省庁)は虚偽答弁や公文書の改ざんまでしている。政治家が小さくはない嘘をついて、それでおとがめ無しなのであれば、下手をすると独裁制(ファシズム)につながりかねない。独裁制というと大げさに響くかもしれないが、そこで犠牲になるのはもっぱら社会的弱者である。現に社会的弱者や少数派は社会の中で犠牲になっている現状がある。この現状は、政権与党の欺まんや嘘のせいなのがあると個人的には見なせるのがある。

 加計学園森友学園の問題がいつまでも続いてしまっているのは、議論ができていないことをあらわす。これは主として与党に原因がある。与党がやろうとしさえすれば、それほど時間をかけずに片づけることができることであるにもかかわらず、それをやろうとはしていない。与党に不利なことであるためである。

 国民が幸せになるために直接に関わるものではないかもしれないが、国会できちんとした議論をすることがいるのがある。それができないようでは、国民の幸せもへったくれもないのではないか。議論の主題としてどれがふさわしいかという以前に、与野党できちんとした話し合いができていないのだから、議論の前提が成り立っていない。意思疎通ができていないのである。与党は、野党や報道機関などの反対勢力に、強い不信をもっている。敵意と怨念をもち、対立と分断をあおっている。

 与党は、質問されたことにきちんと答えていず、はぐらかしすぎている。質疑応答ができていない。議論が崩壊してしまっているのである。これでどうやって国民は幸せになれるというのだろうか。国民は気の毒であり、不幸におちいってしまっていると見なせるのではないかという気がする。政治家を選んでいるのは国民なのだから、国民にも一応の責任はあるだろうけど。