小さなことが、中くらいのことや大きなことへ形式として転移するというのがある(若干の詭弁が含まれている論法ではあるかもしれないが)

 森友や加計学園は、そこまで大きくはないことがらである。こう見なすのは、実質としてそこまで大きくはないことがらだということと言える。実質としてそこまで大きくはないことがらなのだとしても、それとは別に、形式として見ることができる。

 一事が万事というように見るのは形式によるものである。形式で見るとすると、森友や加計学園で政府や省庁(主として政府)がしでかしたことが、ほかのことにも転移して行くとすることができる。ほかのさまざまなことに広く転移して波及して行く。そうなってしまうのだとすると、ゆるがせにすることはできないものである。

 ある一つのことがらについて、規則を破ったりずさんなことをしたりするのであれば、ほかのことについてもまたそうするのだという推測が成り立つ。この推測は絶対に正しいというものではなく、まちがいのない真理であるということはできないものだろうけど、完全にまちがっているものだとは言い切れない。ものごとは有機的につながっているものなのだとすれば、一つのことがらが他のことがらに関連しているというふうに見られる。これとは別に、無機により非関連として一つのことがらを見ることもできないではないけど、それだとその一つのことがらを特別視するようなことになる。