戦闘は戦闘行為ではないというのは、摩訶不思議な気がする

 日報に記されている戦闘は、法で定められた戦闘行為ではない。戦闘という語が日報で使われているのを、戦闘行為には当たらないと政府は閣議決定をしたという。

 まぎらわしいのは、戦闘と戦闘行為の言い方のちがいがあることがあげられる。言い方が少しちがうから戦闘は戦闘行為には当たらないとしているような気がしてくる。戦闘は戦闘行為とは言い方はちょっとちがうけど、戦闘(行為)というふうに言えるものではあるだろう。同じものをさしているとできる。

 首相の説明では、法で言われる戦闘行為は、特殊なものであるという。一般に用いられている戦闘とは異なるものとして使うことがあるという。首相によるこの説明は、一般の人間としては腑に落ちづらい。法で言われる戦闘行為は特殊なものであるということだけど、その特殊さとはいったい何なのだろう。何のための特殊さなのだろうか。

 一般に用いられているのと完全に隔たっていて断絶しているのなら、一般と特殊とで意味が二重になってしまう。意味が二重になってしまうために、戦闘(行為)は戦闘行為ではない、という解釈となる。この解釈は、白を黒と言っているものだと見なせないではない。戦闘(行為)は戦闘行為ではないというのは、同一律からしておかしいところがある。

 政府の閣議決定では、日報に記された戦闘は戦闘行為ではないというふうにしているけど、その論拠を示していないようである。日報に記された戦闘は、これこれこういう状況によるものだから戦闘行為には当たらないというふうに説明することがいる。それがないのだと説明が欠けている。また、日報に記された戦闘は戦闘行為ではないのであれば、では何なのかを言うべきである。戦闘行為ではないのなら、戦闘と記されたものは何を指し示しているのかの意味がはっきりとはしない。