被害者が名乗り出ないで被害を訴えることの原因を、被害者の内(被害者自身)ではなくて外にあるとしたほうが、二次被害はおきないですむ

 被害者が名乗り出ない。名乗り出ないのであれば、言っていることを信用することはできない。識者の人はこうした見かたをとっていた。被害を受けて名乗り出た人の言うことは全面的に信用できるとしている。この見かたには、個人的には素直にうなずけるとはできづらい。

 アメリカでは被害者がきちんと名乗り出て訴えているのに、日本ではきちんと名乗り出もせずに訴えているので、それを駄目だとする声がある。この声については、日本とアメリカとではちがった社会背景があるのだということが言えそうだ。

 アメリカと比べて、日本では個人主義がそこまで強くはなく、集団主義によっているのがある。また、政治的公正(ポリティカル・コレクトネス)が弱いのもある。日本でも、個人主義や政治的公正はそれなりにはあるけど、アメリカと比べると弱いのがいなめない。

 個人主義や政治的公正では、日本よりもアメリカのほうが先進であり、何歩(何十歩)か先を行っている。また、日本とアメリカでは国土の大きさがちがうから、そこも多少は影響してくると見ることができる。大かたの人に賛同してもらえるかはわからないが、そうした社会背景のちがいがあるとすると、日本とアメリカを同列に語ることはできそうにない。アメリカではこうだから、日本でもこうであるべきだとは必ずしも言えないだろう。

 被害を受けて名乗り出た人の言うことは信用できるのかというと、全面的に信用できるとまでは言えそうにないのがある。現実としても、被害を受けて名乗り出た人の言うことが、全面的には信用されていない。二次被害がおきてしまっている。それで国内にはいられなくなり、国外で生活している人もいる。

 実名で訴え出ているのかそれとも匿名で訴え出ているのかのちがいは、内容が信用できるかどうかとはそこまで強く結びつくものだとは言えそうにない。匿名で訴え出たものが信用できないというのだと、内部告発を否定することになる。しかし、匿名による内部告発だからこそ訴え出られることがあるのはたしかだ。

 訴え出られた人が公職者であるのなら、真相がどうだったのかを明らかにするのから逃げるのはいかがなものだろうか。そこから逃げてしまうのだと、本当はどうだったのかが明らかにはならない。本当はどうだったのかを明らかにすることに協力することがあるのがのぞましい。それに協力しないのであれば、完全に白(潔白)だとは見なしづらいのがある。説明責任を果たしているとは言いがたい。

 本当にそうであるのならまた別であるかもしれないが、ハニートラップだとか、はめられたのだとかとしてしまうと、二次被害がおきてしまう。一次被害をおこさないようにしないとならないのに加えて、二次的な(力関係や性の)嫌がらせをおこさないようにするのがいる。一次被害をおこさないことに慎重であるようにするのに加えて、二次被害をおこさないようにするのにも慎重であるようにできればのぞましい。慎重ではなく軽率になってしまうと、問題が解決されないでそのままになってしまいやすい。