距離化では、遠ざけるのと、近づけるのがある(二つのあり方があるので、軽べつして遠ざけるのだけが現実なのではない)

 国際的な国どうしの政治において、二つの見かたがとれる。一つは現実主義であり、これはどちらかというと悲観主義のものである。争いは避けられないというものである。もう一つは国際協調主義である。この二つの見かたをとることができる。どちらかだけだというのだと、残りの一つをとり落とすことになりかねない。

 ほんとうに実現するかどうかはわからないけど、朝鮮半島では、北朝鮮と韓国が休戦している戦争を終戦にさせようとしているようであり、また北朝鮮核兵器の開発を放棄する動きを見せているという。これは国際協調主義のものだということができる。

 現実主義の、争いは避けられないという、悲観主義によるものを主として見ていると、もう一つのものをとり落とすことになる。どちらをも見ることができればよい。それによってつり合いをとりやすくなる。争いは避けられないというのはたしかにあるが、それは判断をどうするのかが関わってくる。悲観で見ると、争いでお互いがぶつかり合う確率は高くなるが、楽観で見ると、その確率は低くなる。

 いきなりお互いがぶつかり合うというよりも、そのあいだに何段階かあるとすると、そのあいだの段階をすべてすっ飛ばしてというのはあまりおきづらい。あいだに段階があり、それがいくつかある。いくつもの段階を経て、どうしてもこちらの集団としての存続がいよいよとれなくなりそうだということになって、はじめてぶつかり合うことになる。これはどちらかというと楽観によった見かたではあるけど、争い合うのだけが国際的な(または国内の)現実なのではないというのはたしかだろう。