身内だからということでかばってしまうのであれば、けっきょく性の嫌がらせへの意識が低いのだと見なさざるをえないのがある(価値判断として、身内びいきにならないようにしたほうがよいだろう)

 女性の記者を、政治家などにつけなければよい。女性の記者を政治家などにつけてしまうから、性の嫌がらせがおきてしまう。財務相はそのように言っていた。女性の記者を政治家などにつけなければよいだけだとしている。これは問題の解決の一つの手としてはあるだろうけど、必ずしも納得することはできづらい。

 ほかの人も言っていることではあるけど、そもそもの話として、社会の高い地位に男性が多いというのが前提としてある。その前提を受け入れるのに待ったをかけられる。社会の高い地位に女性がもっと多くいれば、性の嫌がらせが今よりもおきづらくなるだろう。

 男性が有能だから社会の高い地位に多くいるとは必ずしも見なすことができないものである。有能だから社会の高い地位につくことができたというのもあるにはあるだろうけど、そうであるからといって、替えがきかないほどかというと、必ずしもそうとは言えそうにない。

 機会の平等はある程度はあるだろうけど、結果の平等が十分とは言えそうにない。不平等になってしまっている。そこを改められればよいのがある。性の嫌がらせを一つの問題とできるとすると、(美しい)女性の記者をしめ出すという手はとれなくはないかもしれないが、本当の解決につながっているとは言いがたい。表面ではなくて、構造を見なくてはならないのがあるし、男性の側の意識を変えないとならないのがある。文脈をすり合わせて行くことがいるだろう。なかなか難しいことではあるのはたしかだけど。