国民の敵だという発言は、国家の危機となるものであるということもできるかもしれない

 おまえは国民の敵だ。野党の議員の人に、こうしたば声をくり返しあびせた。ば声をあびせたのは、現役の自衛隊の幹部自衛官であるという。国会議員自衛官がば声をあびせるのは、文民統制をないがしろにするものであり、見すごすことができそうにない。

 国会議員に向かって国民の敵だというくらいだから、国民のことをおもんばかっているのだろうか。もしそうなのだとすれば、防衛省自衛隊ではなくて、国民にとって何が益になるのかということで動いてもらいたいものである。防衛省自衛隊にとって不都合になることであっても、国民にとって益になることであるのなら、隠すのではなくてどんどん情報を開示してほしい。開示するのではなくてあったことを隠してしまうのなら、国民の益にはなりそうにない。

 国民の敵という集合(外延)がもしあるとするのなら、それは、国民の敵というふうに誰かのことを言いつのることなのではないかという気がする。国民の敵というふうに誰かのことを言いつのらないようにすることが、平和につながる。建て前ではあるかもしれないが、建て前を抜きにして本音をそのまま口に出してしまうようだと危ない。国民の敵というのをつくってしまうのだと争いをまねきかねないのがある。できるだけ国民の敵という表象(イメージ)を生産してしまわないようにすることができれば、平和につなげられるのではないかという気がする。