神の死のようになっていて、虚無主義になっているような気がする(政権を信頼する根拠が虚無なのではないかということである)

 国会では、くだらないことをやっている。森友学園の問題はともかくとしても、加計学園の問題はそこまで大した話ではない。それよりももっと大事なことをとりあげるのがよい。こうした見かたがとられている。

 森友や加計の問題は、そこまで大したことではないというのは、見かたによってはなりたつ。大したことがないとするのは、問題が無いとすることだけど、それだけではなくて、問題があるとして見ることができるのも無視できそうにはない。

 森友や加計の問題は大したことがないとしてしまうと、一周回った見かたになる。一周回ったというのは、回帰するということである。この回帰は、友敵論によるものである。自分たちをよしとするのは友であり、そうでないものは敵であるとする。自分たちではなくて敵がまちがっているのにほかならない。友と敵とを分けることで今まで政権はやってきていたのがある。

 友敵論による単純な弁証法によるのだと、何かよいことをやろうとしている自分たちと、それをはばもうとする敵というふうな図式になる。この図式によるあり方で今までやってきて、それによって森友や加計の問題がおきてしまったのがある。それなのにもかかわらず、そこでもまた友敵論の単純な弁証法を持ち出すのはどうなのだろう。

 友と敵の自明さが揺らいできている。もともと友や敵は実体ではないのがある。それを実体とすることによって、友敵論の単純な弁証法となってしまう。この図式によるのだと、友でもなく敵でもないような人をすくいとりづらい。いないことになってしまう。

 友敵論における友と、単純な弁証法における正(テーゼ)を、改めて見直して行くことがいる。この友や正は、首相による政権与党のあり方にほかならない。友や正はよくて、敵や反(アンチ・テーゼ)はまちがっているとして、友や正すなわち合(ジン・テーゼ)ということでこれまでやってきたわけだけど、それに無理がきてしまっている。友や正すなわち合というのを肯定できなくなってきているのがある。少なからず否定せざるをえない。

 友や正すなわち合はいまもって正しいものであり、これから先もそれでやって行くべきだという見かたもできるかもしれない。その見かたができるとして、それとはちがう見かたができるのもある。友や正すなわち合は、敵や反をしりぞけることによって成り立つものであるが、逆に見ると、しりぞけられてしまっている敵や反のほうがじつは正しいのではないか、というふうにも見られる。もし敵や反のほうが正しいのであれば、友や正がまちがっているとできる。

 どちらが正しくてどちらがまちがっているのかは、人によって見かたが変わってくるものだろう。人によって見かたが変わってしまうのはあるとして、友や正すなわち合というのがあるが、その合をいったん棚上げしてみるのができればよい。合につなげるのに待ったをかける。棚上げして待ったをかけることで、また一周回って回帰してしまうのをほんの多少は防ぐことができる。

 合につなげてしまうと、裏づけのようなものができてしまうけど、それがとれなくなってきている。友や正は、じつは正しいのではなくてまちがっているのではないか、というのが出てきている。それを払しょくするためには、合に結びつけてしまうのはのぞましくない。合に結びつけてしまうと、また一周回って回帰することになるのがあるし、変わりみがないし、じつは正しくないのではないかというのを払しょくしたことにはなっていない。

 友敵論による友か敵かや、単純な弁証法による正か反か(正すなわち合)といったものを、捨てることができればよい。これを捨てることができれば、中立の見かたに近づいて行ける。もし友敵論や単純な弁証法のあり方を捨てないのだとしても、友だけとか正だけというふうではなく、敵や反に当たるものを十分にとりたてるようにするのがよい。友敵論や単純な弁証法を(いままでの通りに)とってゆき、なおかつ友や正だけをよしとして、敵や反をしりぞけてしまうのなら、元のもくあみとなりかねないことになってしまう。

 友や正は、自分たちがうまくやっているとしているかもしれないけど、かんたんに覆(おお)われている覆い(cover)をとり外してしまうことができるし、その覆いをとり外すと色々な穴を発見(discover)することができるのがある。大小さまざまな穴がたくさん空いてしまっているのを指し示すことができるし、それを無視するのはいかがなものだろうかという気がする。

 穴は、(政権が抱えもつ)危機であり問題である。それは減りはしないどころか、増えつづけて行く。それがあるのだから、ここかしこに大小さまざまな穴が空いているぞとか、これから先に穴が増えつづけていってしまうぞというふうに言うのは、おかしいこととは言えそうにない。穴があってもそのままにするのは、ぺらぺらの吹けば飛ぶような見せかけの覆いをかけておくことであり、それをとり外してみなければならないのがある。とり外したくなるのが人情である。