仕事のうえでの有能さよりも、嫌がらせ(ハラスメント)をしないということが優先されたほうがよいのではないか(一つの見かたとしては)

 三〇代の女性の記者に、性の嫌がらせ(セクシャル・ハラスメント)の発言をする。その嫌がらせは、性だけではなく力関係(パワー・ハラスメント)も含む。この嫌がらせをしたとされるのは、財務省事務次官の人である。

 女性が役人から嫌がらせを受けたさいに、録音をしていたために、嫌がらせが明らかになった。報道機関が報じたことで表ざたになった。もし女性が録音をしていなければ、表ざたになることはなく、人々に知られることはおそらくなかっただろう。

 このことを受けて、財務大臣は、役人にたいして注意をするにとどめている。もし報道が事実であれば駄目であるが、事実かどうかは定かとは言えないとしている。事実かどうかを省が率先してきちんと調べて行くつもりはあまりないようだ。

 財務大臣は、問題となっている役人の人を、仕事のうえで有能だとしているみたいである。仕事のうえでの能力を高く買っているので、速やかに処罰するのに難色を示している。女性の記者に嫌がらせをしたことの一点をもってして、能力に欠けると判断をしているわけではない。財務大臣はこのように言う。

 仕事のうえで高い能力をもっている役人を、財務大臣はなかなか手放したくないというのは分からないではない。その手放したくないのは分からなくはないが、そのいっぽうで、新人の役人にたいして首相が、高い倫理観をもてと言っていたのがある。これはごく最近に首相が言っていたことだ。この有言を実行するのでないと、言った意味がない。

 新しく入ってくる人にたいして、高い倫理観をもてと(首相が)言っていたくらいだから、省としての倫理観というものを大臣は示すのがあってよい。仕事のうえで有能なのであれば、性や力関係での嫌がらせが軽んじられるというのではおかしい。性や力関係の嫌がらせはあってはならないものだというふうにすることで、倫理観を示せる。その一般論の建て前をとり、そこから具体の例を見て行くようにする。

 仕事のうえで有能なのと、性や力関係の嫌がらせをした(かもしれない)のは、別々のことだと見なせる。場合分けをしてみると、仕事のうえで有能な人が、性や力関係での嫌がらせをしたか、もしくはしていないかとできる。していないのであればいわれなきことだけど、したのであればそれと向き合うことがいるだろう。したかしていないのかは、真相がはっきりしていないのであれば、どちらの可能性もある。していないかもしれないし、したかもしれない。

 二つのうちで、したかもしれないのをとることができる。仕事のうえで有能な人が、性や力関係の嫌がらせをしたとするのなら、そのさいにはどうするのがよいのかということがある。必然としてそうだというのではないにしても、もしそうであるとするのなら、高い地位についている人ならその地位を退くか退かないかとなる。

 地位を退かないのだとしても、何らかの改善策をとることはいるだろう。仕事のうえで有能なことから、地位をそのままつづけるのだとしても、ことのてんまつを明らかにするのがあればよい。お酒を飲んで理性を失ってしまったのであれば、そうならないようにするために、お酒を飲むのを断つだとか、(治療が必要であれば)治療をするだとかいうのを行なう。そういったことをすればそれでよいというわけではないが、それらがまったく無くて、ただ地位をこれからもそのままつづけるというのでは、適したことだとは言えそうにない。