膿を出し切るのに適材(うってつけ)な人を活用するのであれば、膿を出し切れるかもしれない

 膿(うみ)を出し切る。首相はそのように語ったという。膿があるのだとして、その生みの親は誰だろう、というのが気にかかる。

 膿を出し切るということだけど、その前に、膿を、と言っているのだから、膿があることが前提になっている。その膿があるのはなぜなのだろう。膿を出し切る前に、膿についてを見てゆくことがいる。かくあるという記述とともに、なぜということについての説明がないと、知ることが深まらない。膿があるという結果があることの、その原因を探ってゆく。その方法論をとってゆくのがあればよい。

 膿があるのだとすると、それがどういったものかを見てゆき、定義をする。事実を認めて行かないとならない。膿を出すというのは問題の解決をさしているのだろうから、問題の解決をするためには、事実を認めるのが原則としてないとならないものである。

 膿をきちんと出せたのかどうかを、改めて見て行き、膿が十分に出せていないのであれば、出せるまでくり返しやって行くことがいるだろう。出したつもりというのでは、出したことにはなりそうにない。