重要なことがらで、無駄なやりとりが行なわれることもあるし、さして重要ではないことがらで、十分に意味のあるやりとりが行なわれることもある

 政治において、重要なことをとり上げる。それが大事なのであり、重要ではないことをとり上げるのはのぞましくない。国にとってさして重要でないようなことを野党はしばしばとり上げているので、それをやるのではなくて、もっと国にとって重要なことをとり上げるようにするのがよい。こうした見かたをとることができる。

 国にとってそこまで重要ではないようなことをとり上げるのはなぜよくないのかというと、一つには、そうしたことを長々と引っぱってやってゆくことで、時間が浪費されてしまうのがある。この時間の浪費は、やりようによってはあるていどは改めることができそうである。時間が非最適となっているのがあるとすると、それを最適化することができる。

 時間が非最適となっていることの一つに、政権与党の答弁の冗長さがある。首相の口ぐせである、いわばとか、まさにとかいった語は、改めて見ると不要なものである。なくてもかまわない。こうした語は答弁から削ってしまって、意味があることだけをなるべく口にすればよい。結論を先に(アンサーファースト)の答弁をするようにする。そうすればけっこう時間を最適化できるだろう。嘘は言わないで本当のことだけを言えばよいのだから、本当のことだけをさっと言うようにできればよい。

 国にとってそこまで重要ではないことを野党がとり上げると、たしかに時間の浪費になってしまうことがあるけど、たまには時間の浪費となるようなことがあってもよいのではないかという気がする。時間の浪費はすべからく無駄だとは必ずしも言うことはできそうにない。何が無駄になるのかというのは、視点のとり方によってちがってくる。短い目で見れば無駄だが、長い目で見れば無駄ではないということがある。どういった目的によっているのかによってもちがってくる。とり上げることがらが無駄か無駄でないかは、ものによっては定義することが易しくはない。

 とり上げることがらが無駄かどうかというのも無視することはできづらいが、それとは別に、政権与党の答弁の中に無駄なところがけっこうあるのも無視しづらい。政権与党のすべての人というわけではないが、人によっては、答弁をぎゅっと縮めたらほんの少ししか実がない、といったのもあるだろう。水増ししているような発言だ。ぎゅっと縮めたらほんの少ししか実がないのであれば、はじめからほんの少しの実のところだけを言えればよい。要領を得ないような答弁をできるだけ言わないようにして、達意になるように言うようにすれば、費やす時間が減り、国益にかなうのではないかという気がする。

 できるかぎりの客観で速やかな情報の伝え合いを、政治において行なう。主観をできるだけ払しょくする。あくまでもそれは理想であり、いきなり現実に実行はできづらいだろう。いきなりやらなくてもよいけど(いきなりできるのは理想だけど)、とり上げることがらが無駄かどうかというのとは別に、やりとりの中での無駄や時間の非最適なところもけっこうあるとすると、それを無視することはできそうにない。