タカ派であることの強みと弱み

 政権が悪いことをやったのではない。財務省が悪いことをやったのである。この見かたがあるとして、はたしてこれは正しいということができるのだろうか。この逆の見かたをとることができるのがある。

 財務省ではなくて、政権が悪いことをすることがある。確たるものとは言えないが、その根拠の一つとして、政権の長である安倍晋三首相はタカ派だというのがあげられる。首相は、自分で自分のことをタカ派だと言っていた。なのでタカ派だと見てさしつかえがない。政権はタカ派だけど、財務省タカ派ではない。省庁は基本として前例主義によっているというのがあるといわれる。

 タカ派として、首相は結果を出すことが何よりも大事だと言う。それにくわえて、首相は右寄りの保守派であり、右派は直接の行動をとるのをよしとする。そこが強みでもあり、また弱みでもあるといえそうだ。

 行動をして結果を出すさいに、功を焦ることがあり、それが誤りにつながる。効率を重んじるために短絡(ショートカット)になり不正になる。誤りや不正のすれすれのところを進んでいるとすると、その細いへりから転落することもないではない。

 行動をとって結果を出すということで、行動というのは規則をやぶることができるものでもある。規則として、何々をしてはならないというのがあるわけだけど、それをやぶることができるのが行動である。規則をやぶらないで守ることもできるのはあるけど、守れなくてやぶってしまうことがあるのは、行動することによっている。

 首相が悪人だから規則をやぶってしまうのではなくて、タカ派だから規則を破ってしまうことがあるとは見られないだろうか。そうしたことは、絶対にないとは言い切れないものだという気がする。ないとは言い切れないとはいっても、首相がタカ派であることと、行動によって規則をやぶることとのあいだには、みぞがあることはたしかであり、完ぺきな説得性をもっているとは言いがたい。飛躍があるものではある。

 あくまでも傾向ということにすぎないものではあるけど、ハト派と比べたら、タカ派であるほうが、いざというさいに行動によって規則をやぶることへの歯止めが、ほんのわずかにではあるが小さいのではないかとおしはかれる。ハト派はどちらかというと守りであるけど、タカ派は攻めであるから、攻めに出るさいに規則をやぶってしまうことがないではない。

 タカ派だから規則をやぶるということは言えないのはある。そのうえで、一つの推理にすぎないものではあるが、規則を守るのよりも、(規則をやぶることになってしまう)自分の行動のほうをより優先させるのがおきることがある。この推理は精密なものではなく雑なものかもしれないので、そこまで信ぴょう性があるものとは言えないものかもしれない。

 この推しはかりにまずいところがあるとすると、まず一つには、タカ派にたいするステレオタイプになってしまっているのがいなめない。単純化や象徴化をしている。そして二つ目には、タカ派だけにかぎらず、ハト派であっても規則を守らずにやぶることがあるのだから、ちがいはそう大きくはない。ちがいがあるとしても、せいぜいが程度(確率)のわずかなちがいにすぎないものである。

 タカ派であるから規則を守らずにやぶるとは言えないにしても、そうかといって、まったく規則をやぶることがないとは言えない気がするのである。何かの行動をするさいには、決まりを破ってしまうということがつきまとうものであり、それは首相をふくめた政権(タカ派の政権)も、行動主体としてけっして例外ではないのはたしかだ。