名誉職の増殖

 首相夫人は五五もの名誉職についているそうだ。五五のうちのいくつかに、適切ではないものがまぎれこんでいることがなくはない。森◯学園の問題では、夫人は名誉校長についていたのがあり、それは適切なものではなかったのがある。

 五五の名誉職の一つひとつがどういうものなのかを報道機関が問い合わせたところ、総理事務局は回答をしていないという。聞かれて回答できないようなものについていたというわけだろうか。聞かれるのはあらかじめ想定できないことではないので、もし聞かれたらこういうふうに説明できるとして、そのうえでつくのであればさしさわりが少ない。説明がうまくできかねるものだけどついていたということになってしまう。

 名誉職の範ちゅうの中に、さまざまな価値をもつものがある。正の価値のものだけではなく、負の価値のものも混ざりこむ。名誉職だからといって、それが必ずしも正の価値をもつものだとはかぎらない。国民にとって広く益につながるとは言えないものであれば、名誉職につくことがふさわしいものだとは見なしづらい。

 五五もの名誉職についていたということで、その数が多すぎるというのがある。そうではあるが、数が多すぎるかどうかは、見かたによってちがってくるのがあり、いちがいに言い切れないものではある。きちんとした選びかたで積み上がったのが五五であるのだとすればよいけど、そうではないのであれば、変な選びかたをしてしまっていることになる。

 夫人は公人ではなく私人だという閣議決定がされている。閣議決定がすべてではないので、それをとりあえずカッコに入れられるとすると、公金である税金が使われているのなら、公人だということができる。まったくの公人というのではないにしても、準公人だということはできるだろう。準ではあっても公人であるのなら、汚職がおきかねない。名誉職についたとして、その中におかしなものがあるのなら、汚職につながってしまう。私人ではなく、(準)公人であるという前提によって活動をしたほうがよいのがありそうだ。私益ではなく公益にかなうようなこととして、説明ができるようなものであるのがよい。