政治的なツイートをしない、というのもそれはそれで問題であると言えないではない(何も言わないのは、賛成や肯定であると受けとられかねない)

 お笑い芸人の人が、政治のツイートをつぶやく。政治的なツイートが多いことで、業界やファンはうんざりとする。このお笑い芸人の人は、右派ではなくて左派による政治的なツイートをしていたので、左派によっているのを報道の記事で批判された。

 お笑い芸人の人のほかに、落語家の人では、右派によっているツイートをつぶやいている人もいる。さまざまな人がいると言ってよいだろう。どういったあり方をよしとするのかとして、右派にも左派にもどちらにも偏らないか、もしくは政治的なことをまったく言わないのがのぞましいのだろうか。そのあり方は自然なものとは言えそうにない。じっさいには右派か左派に少なからず偏ってしまうのがあるし、それが人間というものだろう。

 政治的なツイートが多くなり、業界やファンがうんざりしたということだけど、それとは別に、うんざりしているから政治的なツイートが多くなっているのではないか。うんざりしていなければ政治的なツイートは多くはならない(たぶんではあるが)。うんざりとしてしまうようなことがないわけではないから、政治的なツイートが多くなってしまうのはやむをえないと言えないではない。

 その人のファンであるのなら、うんざりとするのではなくて、温かく見守るというのがあるとよい。ファンだからこそ苦言を呈するといったこともあるかもしれないけど、それがすぎると、ファンというふうに言えるものなのかどうかというのもある。見かたにもよるだろうけど、もはやファンではないかもしれない。

 政治的なツイートが多くなったというのがあるとして、それだけをもってして批判するというのはどうなのだろう。その中身を見てみることがあったらよい。中身がどうなのかということで批判するのは必ずしも悪いものではないだろう。政治的なツイートだから面白くないとは必ずしも決めつけられないのがある。それはそれで面白いというのがあるし、さらに何かちょっとひねってあるのなら、そこに創意工夫があらわれている。付加価値があると言えそうだ。