いまとり沙汰されているものよりも、ほかにもっととり上げるべきことがあるのはたしかだけど、それを言い出したら、人それぞれで価値は異なるのだから、いま政権が力を入れておし進めようとしていることが、万人が認めるもっともとり上げるべきことだとは必ずしも言えそうにない

 森◯学園の問題よりも、もっと重要なものがある。それなのに、日本の新聞は森◯学園の問題ばかりを大きくとり上げている。その問題よりも、環太平洋経済連携協定(TPP)のことをもっと大きくとり上げるべきだ。TPP を大きくとり上げて報じないのははなはだおかしい。こうした意見がある。

 たしかに、TPP は大事なものではあるだろう。その TPP と比べて、森◯学園の問題は小さいことだと言えるのかは、いちがいに言い切ることができそうにないのはたしかだ。TPP や外交といった力を入れるべきことがさし迫っているのはあるだろうけど、それはそれとして、森◯学園の問題については、別のことがらとして見ることができる。

 TPP や外交なんかの、ほかのものと比べるのはひとまず置いておけるとすると、森◯学園の問題について、問題があるとするのと無いとするのとで見ることができる。無いとする人もいるだろうけど、あるとする人も少なからずいるのはたしかだ。あるとするのでは、その問題があることの深刻さや重大さを見ることができる。解決性が探られなければならない。いい加減にして、ないがしろにしてうやむやにするのであれば、さしたる問題は無いとすることになってしまう。

 森◯学園の問題よりも TPP や外交のほうがより力を入れるべきことでありさし迫っているのだから、そちらのほうをもっと重んじるべきでありとり上げるべきだ。これは一見するとまっとうなものであり、一理あることはたしかだが、必ずしも素直にうなずけるものとは言いがたい。一理あることはたしかだから、まったくもって頭からまちがったものではないけど、ちがう見かたをとることができる。

 森◯学園の問題よりも、ちがうものをもっととり上げるべきだとして、そのようなふうにしてやってきてしまったから、ひいては森◯学園のような問題がおきてしまったのではないか。森◯学園の問題よりももっと重要度の高いこともあるかもしれないが、そのようにして、これこれ(A)よりももっと別のもの(B)をやるべきだというのが、これこれ(A)のもつ負のまずさを見のがして許してきてしまったのにつながっている。

 今までは、別のもの(B)を持ち出すことで見逃されたり許されたりしてきた、これこれ(A)の大きくなったものが、森◯学園の問題だということができるとすると、これ以上は見のがしたり許したりすることはちょっとできづらい。別のもの(B)を持ち出すのではなく、これこれ(A)をきちんとまともにじっくりと見てゆかなければならない局面に立ちいたっているといえそうだ。

 もしかしたら、今回のこれこれ(A)にあたる森◯学園の問題も、別のもの(B)を持ち出したり時間のすぎるのを待ったりすることで、今までと同じようにして、見逃されたり許されたりするのかもしれない。別のもの(B)というのは、報道機関の報じ方が悪いだとか野党が悪いだとかいうのを含む。別のもの(B)を持ち出して乗り切るのは、そろそろ限界に差しかかってきているような気がしないでもない。