できれば問題が発覚しなければよかったのだけど、明るみに出てしまった以上は、しかたがないので、せめてできるだけ問題が自分たちにおよばないで、小さめに見なされればよい、としてしまっていそうだ

 なぜこんな問題がおこったのかを明らかにする。全容を徹底して解明してゆく。二度とこうしたことがおこらないように組織を根本から立てなおして行くつもりである。政権の不正としてとり沙汰されている森◯学園の問題について、首相はこのように述べたという。

 組織を根本から立てなおしてゆくつもりであると首相は言っているけど、この組織というのはおそらく(自分たちである)政権や与党のことではなくて、財務省のことをさしているのだろう。財務省が悪いのだとしてそこに責任をすべてなすりつけてしまうのであれば、森◯学園の問題を明らかにすることにはつながりづらい。全容を徹底して解明することにはならなくなってしまう。

 政権や与党にも少なからぬ原因があるのであれば、財務省に原因を押しつけるのはおかしいし、政権や与党は原因を引きうけることがいる。原因を引きうけるつもりがまったく無いのであれば、問題の全容を解明することはむずかしい。

 組織を根本から立てなおさないとならないのは、財務省であるよりは、むしろ政権や与党のほうだと見ることができる。政権が自分たちで自分たちを立てなおすことはできづらいだろうし、それをするつもりもなさそうだ。政権が自分たちで自分たちを立てなおすという段階ではなくて(それをすっ飛ばして)、もはや世直しの段階に入っているのではないかという気がする。世直しと言ってしまうと深刻な受けとり方ではあるけど、社会の根底を揺るがす大ごとの不正が政治権力によって行なわれたかもしれないと見なすことができる。

 なぜ問題の全容の解明が遅れてしまっているのかというと、解明をして行くやりとりの中で、問題の当事者である政権が、詭弁や強弁を用いてしまっているのがありそうだ。言った言わないや、やったやらないといった不毛な水かけ論にもって行こうとしたり、自分たちは悪くなく省庁が悪いのだと強弁したりする。自己弁護に走るのは気持ちとしてはまったくわからないものではないけど、それだと問題を客観で見てゆくのにはなはだ不都合だ。邪魔をしてしまっているのだから、それに気がつくことがいるだろう。

 政権は、自分たちを守るという自己弁護による自己保存に走ってしまうようだと、問題の解明にはつながりづらい。せっかくの機会なのだから、中途半端に表面をなでさするようにして終わりにするのではなくて、きちんとつっこんで徹底して体系として問題を見て行ければよい。

 ちょろっとかするだけで終わりにしてしまうのだと、問題の核心に迫ることができないし、本質をつかむことはできない。うやむやになってしまわざるをえない。きちんとした本質に近い原因がわかっていないのであれば、真に有効な再発の防止策は打てないことになる。再発の防止策を打つのであれば、ほんとうに再発を許さないものであるのがのぞましい。よくよく見たらじつはぜんぜん再発を許してしまうといったような再発の防止策を打ってもあまり意味がない。

 政権の不正があったかどうかをそうとうにつっこんで見て行くのは、無条件の政権の自己保存や自己弁護を許さないことである。自己保存による自己弁護は、きちんとした説明責任を果たすものではまったくない。そうはいっても、政権の自己保存にも少なからぬ意味があるではないか、というふうに言えることもたしかである。一強となっている今の政権が退陣したら、大ごとになってしまい、下手をすると収拾がつかなくなりかねない。たしかに、大ごとになってしまい、下手をすると収拾がつかなくなりかねないが、逆にいうと、大ごとにもならず、収拾がついている(ついてしまっている)のがそもそもおかしいというふうに言えないでもない。